へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

居酒屋にお客が置き忘れた財布を取った場合、窃盗罪?占有離脱物横領罪?

【事例】
Aらは,深夜,個人Cが経営する小さな居酒屋でお酒を飲んでいた。Aらの隣には,Bらがおり,Bらが先に席を立った。ところが,Bは,自分の席に財布を忘れたまま帰ってしまった。Aらは,そのことに気づき,Bらが返ってこないかを観察し,Bらが返ってから5分後,財布をAのカバンに入れ,その後,店を出て財布の中身を山分けした。Aの罪責は。

【検討】
ここでの問題は、要するに,窃盗罪か占有離脱物横領罪かのどちらが成立するか,であるBが忘れてしまった財布につき、「占有」が認められれば、占有侵害があったとして窃盗罪になり、Bの占有が失われていれば、占有離脱物横領となる。

そこで、「占有」とは、どのようにして判断されるのであろうか。この点については、一般的な解釈は確立しており、刑法上の占有は,財物を事実上支配する状態をいい,その存否は,占有の意思とその客観化としての支配の事実を表す諸事情を総合して社会通念により決せられるが,それは財物に対する現実的な実力行使の可能性と排他性の有無という観点からなされることになるとされる(大コンメンタール刑法第12巻192頁参照)。

この観点から考えれば、まず、Bは、財布を置き忘れ、すでに5分間もたってしまっているので、流石に置き忘れた財布について事実上の支配があるというのは無理があるだろう。

であれば、占有離脱物横領になるのであろうか。ところがどっこい、物事はそんなに簡単ではない。ここで検討したいのは、店主であるCの占有が認められるか否かである。例えば、自分の家の中にあるものについては、たとえその存在を認識していなかったとしても、占有が認められると考えられている。これは、友達が家に忘れていった物を、泥棒が奪っていった場合に、占有離脱物横領罪という人はいないであろうことからも推察される。

そうした観点から、次の裁判例を見てみよう。旅館のトイレに忘れてあった財布につき,旅館の占有が認められるとした裁判例(大審院大正8年4月4日判決)である。

同裁判例の事例は、被告人は,旅館森田において,宿泊していた小林さんが屋内の便所に置き忘れた財布を領得した、というものであった。大審院はこの事例について、要するに、被告人の領得した財布は,所有者小林さんの事実上の支配を離脱したものであるが,小林さんが宿泊していた旅館の主の森田さんの事実上の支配がある旅館内の便所にあったものであり,この事実をもってすれば,森田さんが小林さんが財布を置き忘れたという事実を知っていたか否かにかかわらず,当然,その財布は,森田さんの支配内に属するものというべきである。従って,遺失物横領として論じるのは間違っている、としたのである。

この裁判例は、家に誰かが置き忘れた場合と同様に、旅館においても、その管理者の占有を認めたのである。

他方,誰かが管理する場所に誰かが物を置き忘れたからといって、当然にそのものについて占有があるわけではない。例えば、村役場事務室内に納税者が遺失した金員につき,役場の看守者である村長の占有を否定した事例(大審院大正10年6月18日判決)や,鉄道列車内に乗客が忘れていった毛布に対する常務鉄道係員の占有を否定した事例(大審院大正15年11月2日判決)がある。

これらの事例における結論の違いはなんであろうか。おそらく、占有の意思とその支配関係の強さが違うものと考えられる。役場や電車の中は人の出入りが激しく、利用者が落としていった物について、いちいち管理していられない(もし誰かに拾われたら、管理体制が悪いとか文句を言われかねない!)。他方、旅館の事例では、その旅館の規模は明らかではないが、おそらく、小規模な旅館だったのではなかろうか。そうすると、あたかも自宅に誰かが物を忘れていった場合のように、占有を取得する意思や、支配関係があったとしてもおかしくはない。他方、旅館の規模が大きかったりした場合には、同じように語ることはできないであろう。

結局、占有の定義に即して、丁寧に考えていく他ない、ということだ。当たり前のことだが。

こうした観点から設例を検討すると、居酒屋という場所では、たとえそれが小さいものであったとしても、お客さんが座る空間にある忘れ物についてまで管理しようという意思はないのが通常であろうし、支配関係も弱いものということになろう。他方、キッチンの中とかだと、微妙になってくるかもしれない。

いずれにせよ、設例の事案においては、Cの占有はないと考えるのが通常であり、Aらの罪責は、占有離脱物横領罪ということになる。

・・・別に取り立てて難しい問題じゃなかったかな?まぁ、いいか。

少年事件における証人尋問を実施すべきかどうかの判断基準と参考事例と雑感と。

少年事件では,刑事事件とは異なり,一件記録がすべて裁判所に提出される。そのため,裁判所は,少年が否認する供述をしていても,一件記録上,非行事実は十分認定できるとして,証人尋問を実施しないまま少年を保護処分に付す,という事態が生じる。

 

実際,少年事件においては,刑事訴訟法のような詳細な証拠調べに関する規定はない。他方,最決昭和58年10月26日は,「非行事実の認定に関する証拠調べの範囲,程度,方法の決定も,家庭裁判所の完全な自由裁量に属するものではなく,少年法及び少年審判規則は,これを家庭裁判所の合理的な裁量に委ねた趣旨と解すべきである。」としており,一定の場合には,家庭裁判所が証人尋問を実施しない場合,法令違反となる余地を認めている。

なんにせよ,少年事件において証人尋問を実施するかは,裁判官の「合理的な裁量」に委ねられているわけである。

 

とはいえ,「合理的な裁量」であればよいから,少年や付添人の求めにもかかわらず証人尋問を実施しなかったとしても,ただちに違法にはならない(東京高裁平成17年8月10日決定や,東京高裁平成27年10月26日決定等)。

 

しかし,保護処分も,少年にとっては前歴として残る不利益処分であるから,基本的には,刑事手続と同じように,少年に対して反対尋問の機会を保障するなどして,手続保障を充実させるべきではないだろうか。

 

そうした中,東京高裁平成27年7月8日決定は,窃盗保護事件において,共犯少年らの証人尋問を実施せずに非行事実を認定した原決定の手続には,決定に影響を及ぼす法令違反があるとして,事件を差し戻した。

 

事案を簡単に紹介しよう。少年Aは,B及びCと共謀して,オートバイ1台を盗んだとして家庭裁判所に送致された。オートバイ窃盗の事案である。少年の言い分は,要するに,オートバイを盗んだのはBとCであり,自分は,BとCがオートバイを盗んだあとたまたま合流したにすぎない,というものである。そして,東京高裁の判断は,ごく大雑把にいうと,客観的な証拠からは少年が事件に関与したかは明らかでなく,結局,共犯者BCの供述の信用性評価が最も重要であるが,BCの供述には変遷があるなどし,これを裏付ける客観的な証拠もないから,証人尋問をせずにBCの調書に信用性を認めるのは,やりすぎだ,というものである。

 

原決定は,おそらく,共犯者が最終的には一致して少年が事件に関与していたことを供述していたことを重視していたのではないかと思われる。実際,調書の内容が一致している場合のインパクトは,結構大きい。しかし,そこは調書は調書。しかも,少年の調書である。調書の作成は,一般に,警察又は検察が事情をまんべんなく聴き,それを最後にまとめて読みきかせるという手段で行われる。しかし,20分も30分も事情を聞かれ,その後,一気に目の前の刑事が「きみの話をまとめるね」とかいって,調書を作り始めるのである。そして,おもむろに調書が印刷され,「間違っていたら指摘してください」などといって,渡される。中には,20頁とかにわたる調書がある。これで,内容を正確に読みつく理解して,間違いがあれば指摘した上で調書にサインできる少年(しかも中学生)がどれだけいるだろうか。東京高裁は指摘してない(できない?)が,やはり中学生くらいの少年の調書の信用性は,慎重に考えるべきで,少年が一貫して否認するような場合であれば,比較的柔軟に事情を聴くべきではないか,と思う。

 

他方,東京高裁平成17年8月10日決定の事案とかを見ると,悩ましくなってしまう。同決定の事案は,7歳や13歳の女の子に対する強制わいせつなどであり,女の子らの証人尋問を実施しなかった原決定の手続に法令違反はないとしている。どうやら,少年は,観護措置段階まで事実を認めていたが,途中で否認に転じたようである。さて,7歳とか13歳の女の子に当時のことを思い出して話してもらうことがいいものだろうか。少年は捜査段階では自白していて,その取調べ担当警察官の尋問もしている。この辺りを考えて,尋問を実施しないとすることも,あり得ないものとはいえないのでは。証人が小さい女の子であろうが,少年に不利益処分を科す以上,萎縮してはならない,柔軟に証人尋問をすべきだ,というのが正論なのかもしれないが(なお、川出教授はこの決定は疑問だとしている。やはり、証人尋問をすべきという方向でけんとうすべきなのだろう。)。

 

裁判官は,「合理的な裁量」を行使しなければならない。ただ,何が合理的かというのは,考えると結構難しいものだ。裁判官の仕事は,やはり重責を伴うのだろう。

なんだかんだ言っているが,裁判例を見ていると,合理的な裁量かどうかは,一件記録を精査して,少年の言い分にかかわらず十分事実を認定できるといえるか,疑いが残かを基準に判断するべきもので,疑いが残る場合には,躊躇せず証人尋問をやる,というのが,あるべき姿なのかな,とは思う。

被相続人がマンション経営をしている場合に,銀行に対するローンを相続人全員が平等に負担するのは不公平なように思うが,その対応策は。

マンション経営をしている相続人が死亡した場合,債務の行方は意外と問題が大きい。

相続が開始した場合,債務は,法定相続分に応じて当然に分割されることになることは,良く知られているところだと思う。では,その準則に従って,次の事例を考えてみよう。

 

【事例】

被相続人Aは,死亡前に相続税対策のため,アパート経営をし始めた。Aは,甲,乙,丙のマンションを建設し,その価値は合計2億円であった。被相続人は,それぞれのマンションに抵当権を設定しており,賃料からローンを返済していた。甲,乙,丙を建設する際のローンは,未だ1億8000万円のローンが残っていた。Aが死亡し,子のBCがAを相続した。長男Bは,Aの賃貸経営を生前から手伝っていたところ,Aは,引き続きBに賃貸経営をさせたいと思い,甲,乙,丙のマンションをBに相続させ,その余の財産は次男Cに相続させるとの遺言をした。Aのその他の財産は,自宅不動産4000万円,預貯金1000万円であった。

 

・・・

 

さて,上記の事例を考えると,Bは,マンション2億円分を相続し,Cは,その他の財産5000万円を取得したことになる。負債が1億8000万円あるため,Aの財産はプラス7000万円であり,Cの遺留分(4分の1)も侵害されていない。

 

この事例で,債務を法定相続分に応じて分割してみよう。そう,Bは9000万円の負担,Cも9000万円の負担ということになってしまうのである。

 

Cとしては,「なんでやねん!」と言いたくなるであろう。兄は2億円の財産を取得した。そして,9000万円の返済も,毎月得られる家賃から返していくことができる。一方,自分は,5000万円の財産を取得しただけど,どうやって9000万円も返済すればいいのやら。父親は資産家だったから,相続によってたくさん利益を得られると思ったのに。こんなことなら相続放棄をすればよかった…なんていう叫びが聞こえてきそうである。

 

中には,上記のような状況を説明して,他の相続人に対して,相続放棄を勧めるような人もいるとかいないとか。

 

・・・

 

「こんなの,おかしくないか?」

 

その感覚は,非常に大事。法律の論点のほとんどは,この素朴な疑問から生まれている。

 

参考判例を一つ上げよう。この事例ズバリではないが。最判平成21年3月24日である。最高裁は,被相続人が,相続人のうちの1人に対して財産全部を相続させる旨の遺言がされた事例について,特段の事情がない限り,相続人間においては当該相続人が相続債務もすべて承継したと解されるとしたのである(本当は遺留分の計算についての判示だが。)。

 

法定相続分を超えた相続させる旨の遺言がされた場合,一般的に,法定相続分を超える部分については,相続分の指定を伴っていると理解されている。そして,相続分の指定がされた場合,指定の効力が相続債務にも及び,共同相続人間の内部関係では,各相続人が相続債務についても指定相続分の割合により承継又は負担すると解されている(上記最判の調査官解説参照)。

 

このような理解を前提にすれば,上記の【事例】では,遺言の解釈で勝負することができる。「この遺言は,相続分の指定を伴っている。だから,債務も,相続分の指定があった部分に限られる。」と主張していく余地がある。例えば,「合計2億5000万円の遺産のうち,Aに2億円(=80%)の遺産を与えている。法定相続分をはるかに超えた額を取得させる内容であり,これには相続分の指定が伴っている。そうである以上,Cが負うべき債務もその限度に限られ,Cが負う債務は,1億8000万円のうちの20%,すなわち3600万円である。」といった感じに。9000万円のところが,3600万円で済めばCもありがたい。

 

さらにやり手の弁護士なら,次のような主張を通すことができるかもしれない。すなわち,「被相続人の債務は,すべてマンション経営に関するものである。被相続人は,その債務を,ずっとマンションの家賃から支払ってきた。つまり,被相続人は,マンション経営をする長男が,マンションの家賃から債務を返還することを予定していたのであり,債務は,甲乙丙を相続したBが100%負担する意思で遺言をしたものである。よって,Cの債務は,0円である。」と。Cとしては,債務が0になったらかなりありがたいであろう。ただ,上記のような主張が通るかは,かなり厳しい。指定相続分という概念を使わない以上,別の理屈が必要であるからである。少なくとも,私は思い浮かばない。

 

もちろん,こういった指定相続分による債務承継は,相続人の間だけの話であり、銀行などの債権者との関係では効力を有さない(銀行としては,勝手に債務者を変えられては困る。)。もっとも、例えば,Cが自分の負担部分よりも多く銀行に支払った場合には,負担を超えた部分につきBに求償をすることができるであろう。

 

とはいえ,結局は遺言の解釈になってくるし,何パーセントの指定があったのかは,そんなに簡単に解釈できるものではない。杓子定規に考えるのではなく,遺言の解釈を慎重に行う必要がある。

 

少なくとも,法定相続分の債務を当然に負わなければならないとは言い切れない点は,知っておいても良いかもしれない。

結局,この記事の題名に対する答えは,


「銀行からローンの支払を求められたら払わないといけません。でも,Bとの関係では、必ずしも法定相続分の額を負担する必要はない可能性がありますよ。」

ということになる。

なお,この分野はまだ明示的な最高裁はなく,明示的に議論がされている書籍にも当たらなかった。結構難しい問題なのかもしれない。

自己紹介

【名前】

へ―つぁん

 

【名前の由来】

叔母からそのように呼ばれていました。なぜへーつぁんなのかは,未だに分かりません。

 

【経歴】

小学校,中学校,高校,大学,大学院を卒業しています。司法試験にも100番台くらいの成績では受かっています。一応,法律家やってます。

 

【趣味】

英語を細々とやっています。2017年に受けたTOEICは975点でした。

最近すごく盆栽に興味があります。

 

【得意なこと・長所】

人にものを教えるのは得意です。

一定水準に到達するのは早く,その後は段取りよく物事を処理することができます。

 

【苦手なこと・短所】

人との継続的なコミュニケーションは苦手です。

一定水準に到達するまでは,変な失敗をすることが多いです。

 

【好きな言葉】

思考は現実化する

 

【このブログの目的】

考えを文字にすることで,自分を意識化すること,自分の軌跡を記録することです。

主な記事は,法律の論点検討です。本や雑誌を読む中で,ふと疑問に思った論点とかを五月雨式に検討します。単に頭の中で漠然と考えるよりは,読者を意識して構成した方が,何倍も深く理解することができるからです。

そのほか,日々の悩みとかもつづります。これは単なる自己満足です。

 

言うまでもないことですが,記事の内容は,適当に考えて書いているだけなので,内容の正確さは,ご自分でよくよく検討・検証してください。まぁ,書いているときはそれなりに気合を入れてはいますが。

少年事件における処遇選択の考え方

今回は,少し毛色を変えて少年事件の処遇選択について勉強してみよう。

 

少年事件の処遇としては,一般敵に,審判不開始→不処分→保護観察→少年院送致という順に重くなっていく(検察官送致,児童相談所長当等送致,児童自立支援施設等送致もあるが,ここでは省略)。

 

 

少年事件については,刑事事件と異なり,検察官の起訴猶予処分が存在せず,事件として立件されたものは,すべて家庭裁判所に送致される(全件送致主義と呼ばれる。)。したがって,どんなに大したことがない事件でも,立件されてしまえば家庭裁判所が事件を扱うことになる(軽い事件としては,単発の万引き,放置自転車の横領,軽犯罪法違反などが考えられる。)。

 

そのため,審判不開始や不処分で終わる事件は結構多く,例えば,平成27年の統計では,約7割が審判不開始又は不処分で終局している。

 

この記事では,最も少年が心配するであろう,少年院送致か保護観察処分かを選択するに当たっての着目点について触れたい。

 

なお,前提として,少年を少年鑑別所に収容せずに処理する事件(いわゆる在宅事件)で少年院送致は,実務上,まずないと思ってよい。少年院送致という不利益の大きい処分をする際には,家庭裁判所も慎重に判断しているようであり,鑑別所における心身鑑別の結果を踏まえない少年院送致というのは,たぶん存在しないと思われる。

 

そういうことで,少年院送致か保護観察(多くは試験観察を経る)かが問題となるケースとしては,観護措置(少年法17条)がとられているケースということになろう。

 

では,裁判所は,どうやって少年院送致か保護観察かを決めているのであろうか。それは,少年の「要保護性」によるとされる。ここにいう「要保護性」とは,①犯罪危険性(要するに再犯可能性),②矯正可能性,③保護相当性を意味すると言われるが,多くの場合,②と③は無視してよい。結局,少年事件の処分は,少年による再犯可能性がどの程度あるか,という点に求められる。

 

とはいえ,再犯可能性は将来の予測の問題で不確実であるからこれを確実に予測することはできない。ここが少年事件の一番難しいところである。そこで,家庭裁判所では,行動科学の専門的知見を有する家庭裁判所調査官に少年及び家庭等の調査をさせ,処遇に対する意見を提出させている。この調査官の意見は,裁判官も重視しているようで,調査官の意見が通ることが多い(もちろん,最終判断は裁判官がするから,時には違う処分が下るときもあるのだろうが。)。

 

再犯可能性を判断する際の考慮要素としては様々なものがあるが,一応,次のようなファクターを総合的に判断するものとされるらしい。すなわち,非行事実の態様と回数,原因・動機,共犯事件における地位と役割分担,非行初発年齢,補導歴・非行歴の有無,保護処分歴の有無,心身の状況,知能・性格,反省の有無,保護者の有無及び保護能力,職業の有無・種類や転職回数,学校関係,交友関係,反社会集団との関係の有無,家庭環境,地域環境,行状一般等である(講座少年保護2ー少年法と少年審判279頁以下)。

 

「そんな要因を並べ立てられても分からんわ!」というのはもっともな意見なので,以下,少年院送致が黄色信号な類型を挙げてみることにする(鑑別所収容が前提である)。

① 殺人,強盗致傷,強姦等の重大犯罪。非常に高い法の規範を破ってしまう人は,再犯可能性が非常に高い。まず少年院送致。

② 同種非行の前歴がある場合。一度社会内更生の機会が与えられたのに失敗したのなら,社会内処遇では再犯を防止することはできないと考えるのが通常。

③ 常習性が顕著な場合。性犯罪は前歴がなくても少年院の可能性大。窃盗や無免許運転は,前歴なくして少年院送致というのは少ないかも。

④ 反社会集団とのつながりが強いことに起因する非行に及んだ場合。社会内処遇では,反社会集団とのつながりを断ち切るのは難しく,犯罪の原因の除去が困難。

 

さて,非行に及んだ少年側としては,どうやったら調査官や裁判官に分かってもらえるのだろうという点が一番気になるのではないだろうか。少なくとも,人を説得する以上,理由をしっかりと述べなければならない,とはいえよう。「もうやらないと強く誓っています。今回は違います。」と一生懸命言えば,分かってくれるだろうと考えるのは,間違っている。

 

じゃあどうなんだと聞かれそうなので,個人的な考えを述べよう。非行に及ぶということは,その少年が何らかの「悪循環」におちいってしまっているということである。だから,非行に及ばないというためには,その「悪循環」を断ち切ったと言えることが重要である。「悪循環」を断ち切るためには,「なぜ悪循環が生じているのかの原因をしっかりと認識すること」と「認識した原因を除去できる適切な方法があること」が必要である。これらをいかに説得力を持って提示できるか,が重要だと思う。

少年が,自分の非行について親のサポートも借りながら全力で考えて非行の原因の仮説を考え(少年一人で考えるのは無理なので,こういうところでも親の力が試される。),考えた仮説の原因を除去するために審判までにこういうことをした,ということを提示することが,少なくとも必要ではないか,と個人的には思う。

 

まぁ,グダグダといったけど,どれだけ少年と親が非行について真剣に考えたかが重要で,それを付添人はサポートするし,調査官や裁判官もその点を見ているのでは,と思う。

 

・・・

 

最後に,刑事事件のノリでやると失敗しますよ,という点を2点ほど。

 

①要保護性を判断するに当たって,非行事実は重要な判断要素ではあるものの,非行事実の重さに必ずしも比例して処遇が決められるものではない。刑事事件では,いわゆる「行為責任」として,犯罪行為を中心に量刑は考えられるが,少年事件はそうではない。あくまで少年という「人」が持つ要保護性を中心に考えるのである。したがって,単に先生を殴ってけがをさせたという傷害事件であっても,場合によっては少年院送致という結論もありえなくはない。

 

②刑事事件では示談が重要であると言われるが,少年事件の場合,示談をするのは大抵親なので,それが少年の犯罪危険性を必ずしも減じるわけではないという点には注意が必要。示談したから少年院は避けられるなんて考えない方が良い。「示談をするような積極的に動く親がいるから,少年の家庭環境は良好だ」「親に示談してもらったことで,少年は改めて見捨てようとしない親の存在に感謝し,心を入れ替えた」とか,犯罪危険性に結び付く,もう一歩理屈が必要だと思われる。

 

・・・

 

最後に,少年自身による処分不当の抗告が認められた例として,大阪高裁平成28年11月10日決定があることを紹介しておく。おそらく,調査官は第1種少年院送致の意見であり,原審もそれに従い第1種少年院送致の決定をしたのだろうが,大阪高裁がこれを破棄して差し戻した事例である。

建造物等以外放火における客体の限定の要否

マイナー論点として,刑法110条の客体を限定して,点火材料として用いられるような紙片などを除くべきか,というものがある。

 

110条の客体を限定すべきとする説は,それ自体を焼損することに意味のあるような物に限定すべきだ,などと主張する。これに対しては,焼損することに意味があるかないかの区別は不明確であり,法文上も,「前二条に規定する物以外の物」と,特段の限定を付されてないとして,110条の客体を限定すべきではないという立場もある。

 

一見すると,非限定説の方が妥当なように思われ,なぜ限定説が敢えて対象を限定しようとしているのか,やや分かりにくい。

 

そこで,次のような設例を考えてみよう。

 

甲は,一人で,自宅で酒を飲みながら,友達が家に残していったタバコを勝手に吸っていた。ところが,甲は,酒が回り,タバコの火を消さないまま眠ってしまった。しばらくして,甲は,息苦しくて目が覚めた。甲が目覚めると,吸っていたタバコが床に落ちており,そこから火が上がっていた。甲は,懸命に消火活動をしたが,火の勢いは収まらず,自宅1棟の一部を焼損させてしまった。甲の自宅の隣には木造住宅があり,一歩間違えれば,隣家も焼損してしまうところであった。甲の罪責は。

 

110条の客体を限定しないとする説を前提に,上記の問題を考えみると,おかしなことが起きる(なお,公共の危険の認識については,判例に従い,不要説を前提とする。)。すなわち,まず,甲は,友達がおいていったタバコに火をつけているから,「前二条に規定する物以外の物を焼損」している。そして,甲はその後眠ってしまい,自宅を一部焼損させ,「よって,公共の危険を生じさせ」ている(相当因果関係についても,肯定することができるであろう。)。したがって,甲には,110条1項の建造物等以外放火罪が成立し,甲は,1年以上10年以下の懲役に処せられることになる。

 

さて,上記設例を見たとき,誰もが,「失火罪でしょ」と思うのではないだろうか(ちなみに,失火罪は50万円以下の罰金である。)。上記設例を,建造物等以外放火として処理することは,おかしくないだろうか。

 

だから,上記の論点が出てくるわけである。タバコを吸うために火をつけることによって,普通は公共の危険なんて発生しない。それにもかかわらず,結果として公共の危険が発生したとして,「放火罪」として扱うのは,おかしい。同様に,マッチとか,紙くずとか,薪とか,点火の媒介物やそれ自体を燃やすことに意味がないものは除こうとかいう議論が出てくるわけである。

 

結局,上記設例では,失火罪を問題とするのが自然であり,本条の客体にはおのずから一定の限界があると解するのが相当であろう。地裁レベルではあるが,110条の客体は「それ自体を焼損することに意味のある物をいい,マッチ棒やごく少量の紙片の如く,他の物体に対する点火の媒介物として用いられていて,それ自体を焼損することによっては,一般的定型的に公共の危険の発生が予想されないような物は含まないものと解するのが相当」だとしたものもある(東京地裁昭和40年8月31日判決)。

 

こんな感じで,論点が生じる場合には,必ず前提となる問題意識があるはずなので,論点に対する学説の対立を理解するに当たっては,どういう事例が想定されているのかを合わせて理解するのが良い。

不意を突いた行為による強制わいせつ罪の成否

Aは,通行中の女性Vに対して,Vの不意を突いて突然キスをして逃走した。

 

こんな場合,頭に浮かぶのは,強制わいせつ罪だろう。ところが,刑法上,強制わいせつ罪の条文は,以下のようになっている。

 

「13歳以上の者に対し,暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は,6月以上10年以下の懲役に処する」(刑法176条前段)

 

条文にある通り,強制わいせつは,「暴行又は脅迫を用いて」わいせつな行為をすることである。これを読むと,暴行又は脅迫を手段としてわいせつ行為をすることが,構成要件であるように見える。そうすると,突然キスをする行為は,本当に「暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした」という構成要件に該当するのだろうか,という素朴な疑問が出てくる。

 

そう思って調べてみたが,意外と不意にキスをしたことが問題となった判例が見当たらなかった(大コンメンタールに乗っている裁判例は,争点が異なったり,いずれも肩を抱いたりするなど,不意にキスをしたような事案ではなかった)。弁護士ドットコムには関連する質問があったが,金は払いたくない。自分で調べるしかない。

 

そこで検討するに,結局は,暴行行為が同時にわいせつ行為である場合に強制わいせつ罪が成立するかという問題であるので,キスという態様に限らないで調べてみたら,何と大正14年12月1日に出された大審院の判決にまでさかのぼらないとダメだった。最高裁ですらない(ちなみに大コンメンタール刑法第3版第9巻66頁には,大判大14・12・10集4巻743頁とあるが,日付が間違っている。)

 

その判決要旨は,「暴行によるわいせつ罪は暴行自体がわいせつ行為と認めらるる場合においても成立するものとする。」というもの。

 

大審院の認定事実は,被告人が,大正13年6月18日,某歯科医院治療室において某女(当時24歳)に依頼されその虫歯の治療のためプロノコカイン水約半筒を患部に注射し治療室に横にして安静にさせていた際,同女の意思に反して着衣の裾より右手を入れ,その陰部膣内に自己の右人差し指を挿入して暴行を加え,もってわいせつな行為をした,というものであった。

 

当時の弁護人は,私が抱いた上記の疑問と同じように,刑法176条は,暴行又は脅迫を手段としてわいせつ行為をすることを要するのは論を俟たないのに,上記の認定事実では,被告人がわいせつ行為をするに当たって暴行又は脅迫を加え,もって被害者の意思を抑圧してわいせつな行為をしたと認めることはできない,つまり,暴行行為を手段としてわいせつ行為をしたとはいえないから強制わいせつ罪は成立しないと主張した。

 

これに対して大審院は,刑法第176条の暴行とは被害者の身体に対し不法に有形力を加えることをいうと解するべきであり,女性の意思に反し陰部膣内に指を挿入するようなことは,暴行であることはもちろんである。そして,本件のわいせつ行為は,このような暴行行為によって行われたものであるから,暴行行為自体が同時にわいせつ行為と認められる場合であるとは言っても,同条にいう暴行をもってわいせつ行為をしたことに該当することは明らかであり,所論は理由がない,として弁護人の主張を退けた。

 

つまり,大審院は,強制わいせつ罪における暴行を狭く解釈する弁護人の主張を排斥したほか,暴行行為自体が同時にわいせつ行為と認められる場合であっても,強制わいせつ罪が成立するとしたわけである。

 

とはいえ,判例がそう言っているからそうだ,ということはすべきでない。その背景事情について考えてみようと思ったが,とある基本書に当たっても,これが通説で,しかも,不意の強制わいせつの場合には暴行の程度は問題にならないとサラリと書いてあった。

 

結局自分で考えるしかないのか。おそらく,「暴行…を用いて」という文言からは,暴行を手段とすることまで当然読み取ることができない,ということなのだろう。キスをする行為は暴行であり,かつ,わいせつな行為なのだから,素直に,暴行を用いてわいせつな行為をしたといってよいのではないだろうか。

 

さて,それでは,どこから「暴行…を用いて」という文言を,「暴行を手段として」という意味に解釈すべきだという主張がくるのだろうか。おそらく,それは,強姦(177条)や強盗(236条)の解釈に引きずられているということなのだろう。すなわち,これらの犯罪では,暴行又は脅迫が姦淫行為や財物奪取行為それ自体に該当することはありえず,暴行は結果達成のための手段としか用いられようがない。そして,強盗罪や強姦罪,特に強盗罪は,法律家がよく勉強する範囲であるから,無意識的に,暴行は手段として用いられなければならないという意識が生まれてしまったのではないだろうか。ところが,先に述べたとおり,強制わいせつ罪では,暴行自体がわいせつ行為という結果に該当することがあり得るのである。暴行又は脅迫を用いてという条文の文言を手段としてしか考えないという立場は,強姦罪や強盗罪と強制わいせつ罪の違いを無視して,条文を解釈している,ということになるのではないだろうか。

 

そんなこんなで,結局は判例の立場でいいのでは,と思う。不意にキスをしたら,手段としての暴行を用いていなくても,強制わいせつが成立する,と。

なんか刑事系の記事で,わいせつ系の記事を3つくらい書いていることになってしまっている。よくない傾向だ。今度は放火罪でも書こうか。