へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する最高裁を読んでみた。

⚪︎ 事案の概要

Xは、性同一性障害であり、自らは女性であるとの確信がある男性である。制度上、性同一性障害の人については、性別変更の手続が認められているが、性別変更が認められるためには、法律上、原則として生殖器を除去する手術を受ける必要がある。しかし、Xは、性別変更をするにあたって手術まで求める法律はおかしいと考え、手術をしないまま性別変更を申し立てた。裁判所は、法律上の要件がない以上、性別変更は認められないとして、Xの申立てを却下した。Xは上告し、そもそも手術を求めるような法律がおかしいとして、最高裁の判断を求めた。

 

⚪︎ 最高裁の判断

1 憲法上の保護に値する権利

憲法13条は、「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を、人格的生存に関わる重要な権利として保障している。生殖腺除去手術は、上記自由に対する重大な制約である。

2 制約の存在

ただし、特例法は、性別変更を求めるものに対してのみ生殖腺除去手術を求めるに止まる(性同一性障害の者全員に手術を求めるものでは当然ない)。しかし、性同一障害者がその自覚する性別の取扱いを受けることは個人の人格的存在と結びついた重要な法的利益である。そうすると、特例法は、性自認に従った法令上の取り扱いを受けるという重要な法的利益を享受しようとすると、手術を受けることを余儀なくさせるもので、上記の身体への侵襲を受けない自由を制約するものである。

3 審査基準

諸々考慮しても、上記制約は、必要かつ合理的なものでない限り許されず、合憲性は、制約の必要性の程度と制約される自由の内容、性質、制約の態様や程度等を比較衡量して決めるべき。

4 当てはめ

⑴ 目的

生殖腺除去手術をしないと、「母である男性」「父である女性」という事態が生じ、親子関係等に関わる問題が生じる。 しかし、このようなことは極めて稀だし、実際に混乱が生じるとは言い難い。また、親子関係の成否や戸籍への記載方法等の問題は、別の立法等で対処可能。また、長きにわたって生物学的な観点から男女は区別されていた中で急激な変化を避ける必要があるが、特例法の制定から19年が経過し、性同一性障害に関する理解が広まりつつある。そうすると、特例法制定当初に想定された制約の必要性は、低減している状況にある。

⑵ 制約の態様や程度

特例法の趣旨は、性同一性障害に対する必要な治療を受けていたとしても、なお法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解される。そうした法的性別を変更することが社会的不利益を解消するために必要かは、その人の治療状況等様々な事情によらなければならず、一律に生殖腺除去手術をする段階にまで至っていることを要件とすることは、現時点では合理的関連性を欠いている。特例法の規定は、生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、手術を受けるか、それとも性別変更をすることを断念するかの二択を迫っており、制約として過剰で、重大なものである。

⑶ 結論 

特例法の規定は、必要性が低減する一方で重大な制約を課すもので、必要かつ合理的なものではなく、憲法13条に違反する。

 

⚪︎ 感想

司法試験の優秀答案のような判決だと感じた。反対意見もあるが、特例法の規定が違憲であることじたいには賛同するもので、破棄自判すべきというもの。

 

同居の拒絶に対する法的な対抗手段

【事例】

XとYは夫婦である。ある日、xが家に帰ろうとすると、鍵が変えられており、yに聞くと、「あなたとの生活は無理なのでどこかへ行ってください」とのことだった。家の所有名義はxである。xとしては、yに対していかなる請求を成しうるだろうか。

 

【検討】

1  損害賠償請求の可否

夫婦の同居協力義務については、民法752条が「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」と規定する。これによれば、夫婦には、同居、協力、扶助の義務があり、これに違反した場合には、一般的には、損害賠償請求の原因となりうると解されている。

もっとも、別居する夫婦は世の中に多数あり、これが全て損害賠償の問題になりうるはずがない。例えば、夫婦関係が破綻している場合や、他方配偶者に有責性がある場合に同居義務を課すのは、おかしい。実際の裁判実務でも、このような場合には同居義務があるとはいえないと判断している。例えば、同居を拒否する合理的事由の存否を問題にする例(東京高裁平成9年9月29日決定)、同居を命ずることが個人の尊厳を損なうか否かを問題にする例(東京高裁平成13年4月6日決定)などがある。このような判断からすると、別居を原因として損害賠償請求が認められるのは、別居について正当な理由がない場合、ということになろう(ただ、正当な理由については抗弁となるのではなかろうか。)。

 

2  建物明渡請求の可否

本件の事例では、家の所有権はxにあることから、xとしては、yに対して建物を明け渡すよう請求することが考えられるであろう。要件事実的には、x所有、y占有となるから、請求自体は立つことになりそうである。

しかし、仲が悪くなったからといってこのような請求を安易に認めることが相当でない。夫婦間の問題には、いずれか一方に一方的な責任があることは少なく、多くのケースでどっちもどっちである。このような場合に、建物の所有名義を盾にして、建物明渡請求を認めることはおかしいであろう。裁判例でも、yについて、夫婦共同生活の場所として、建物に居住する権原を有すると解すべきとした事例がある(東京地裁昭和62年2月24日)。他方、婚姻の破綻の原因を招いた側が家に居座るような事例だと、流石に明渡しを認めた事例もある(東京地裁平成3年3月6日)。事例では、xが締め出された原因等を究明し、基本的には居住権原が認められうるyに対して建物を明け渡すよう請求するような合理的な理由があるかどうかを見極め、yに実質的な使用権原があるかどうかを判断していくことになるものと思われる。

 

3  妨害排除請求の可否

その他の法律構成として、xとしてはその家に居住したいんだ、として、yによる建物使用を妨害することをやめてほしいとして所有権ないし占有権に基づく妨害排除請求をすることも考えられるであろう。この主張を認めた事例として、東京地裁令和元年9月13日判決がある。これに対しては、yの方では権利濫用を主張する程度しか防衛手段はないのではなかろうか。たとえば、yはその家で居住してyにも保護されるべき利益があるところ、別居をするに至った原因はもっぱらxにあり、yとして締め出すことについては正当な理由があるのに、形式的に所有権や占有権のみを持って実質的に同居をさせる結果を生じさせるのは、権利の濫用である、といったものだろう。少し苦しいが、具体的な事例によっては通らない主張ではないかもしれない。

 

【資料】

新家族法実務体系①262p以下

判例タイムズ747号(夫婦・親子215題)

自己紹介をする

その人の人となりを端的に表すのが自己紹介。手短なものだが、その短時間のうちに、その人の印象のほとんどが決まる。

他方で、自己紹介の内容を考えるのは、そう容易なことではない。自分と真剣に向き合わないと、なかなか良い自己紹介というものはできないだろう。

自分は、就職活動にあたって十分な自己分析をすることができなかったので、あまり自分と向き合っているような気がしない。そこで、ここに自分について色々と記載し、気が向いたら更新することによって、自分という存在について少し考えてみたい。

 

⚪︎ 好きな本は

デールカーネギーの人を動かす

 

⚪︎ 好きな言葉は

思考は現実化する

 

⚪︎ 趣味は

ゲーム、ユーチューブ、英語、自転車、ゴルフ、オーディブル

 

⚪︎ 特技は

これといって思い浮かばないが、強いていうなら、大抵のことは7割くらいできる要領の良さ

 

⚪︎ 得意なことは

段取りを考えること、他人の意見を理解すること

 

⚪︎ 苦手なことは

深い対人関係。表面的なものは苦手ではない。

 

⚪︎ 嫌いな人の特徴

他人を尊重せずに批判する人、他人を見下す人

民法651条1項による解除

民法651条1項は、委任契約の任意解除を定める。委任契約は信頼関係に基づくもので、委任関係にありたくないと思ったのであれば、損害賠償義務の問題はおいておいて、契約を解除して契約の拘束力から解放される自由を認めましょうという制度である。

 

ところが、この任意解除権には判例法理上、一定の制限がされている(その理解には議論があるところだが。)。

 

まず、大審院大正9年9月24日判決は、民法651条は、受任者が委任者の利益の為にのみ事務を処理する場合には適用があるものであり、その事務の処理が委任者のためのみならず、受任者の利益をも目的とする時は委任者は同条により委任を解除することがはできないものと解するのが相当であるとしている。その理由は、いつでも委任契約を解除できるとすると、受任者の利益が著しく害される結果になるからである、とのこと。
この判例では、被上告人は、自らの債務者に対する貸金の取り立てを上告人に委任し、その取立高の1割を報酬として、その報酬金をもって被上告人の上告人に対する債権に対する弁済に充当すべき旨の特約をつけており、この特約が有効である間は、債務の弁済期間は猶予されていたという事案であり、このことをもって、債権の取り立て委任契約は、受任者である上告人の利益をも目的とするものであって、解除権は制限されるとした。
この事案では、上告人は委任契約の存在によって自らの債務について期限の利益を受けられる関係にあったことから、受任者の利益のためにもなされたと認定されたのであろう。

 

もっとも、単純な報酬支払い合意は、上記の判例にいうところの「受任者の利益」には該当しないとされる(最判昭和43年9月3日、最判昭和58年9月20日)。新注釈民法によれば、受任者の利益とは、「委任事務処理と直接関係のある利益」をいうとのこと。裁判例で認められたものとしては、委任者が、受任者に対して、受任者の委任者に対する債務弁済の方法として、委任者の債権の取り立てを委任した場合(大審院大正4年5月12日)、委任者の土地の売却を委任した場合(東京高裁昭和31年9月12日)、委任者が経営する会社の経営を受任者に委任した場合(最判昭和43年9月20日)などがある。要するに、「報酬の支払以外の利益で、契約が自由に解除された場合に害される受任者の利益が存在するか(+その利益の保証が契約の内容となっているか)」と言う点が判断基準になるのではないかと思われる。

 

他方、さらにややこしいのが、最判昭和56年1月19日は、受任者の利益の為にも締結された委任契約において委任者が解除権自体を放棄したものとは解されない事情がある場合には、民法651条1項の解除はなお可能であるとした。しかし、「解除権自体を放棄したものとは解されない事情」とはいったいどういったものを指すのだろうか。逆に、651条1項は任意解除を認めているので、この解除権を委任者がわざわざ放棄するとは考え難い気もする。実際の事案ではどういった事実関係を認定すれば良いのだろうか。

 

この点、学説では、「委任事務の処理が委任者の利益であると同時に受任者の利益でもある場合には、委任者が任意に行使できる解除権を放棄する特約があると推定すべきである」としている。そうすると、まぁ、この推定を打ち破るような事情があるか、ということが問題になる、ということにはなりそうである。

 

なんとなく、基本的には契約を解除することは制限するべきではなく、受任者の利益は損害賠償によって填補されるべきである。しかし、損害賠償によって填補されないような特別な利益があれば、解除権の行使は予定されていなかったとして、解除権を制限する、そんな基本的な価値観を持っておけば良いのではないか、と感じる。

 

 

間接損害(企業損害、反射損害)について

【事例】

Aは、B会社のプロジェクトリーダーであったところ、ある日、Cが運転する自動車にはねられ、3ヶ月の入院治療を要する重傷をおった。このため、B会社のプロジェクトは頓挫することになり、B会社は、見込まれていた1000万円の利益を受けることができなかった。また、B会社は、Aの家族のためを思い、Aに対しては入院中も同額の給料を支給していた。AがCに対して交通事故による損害賠償請求をすることができることは当然として、B会社は、Cに対して逸失した利益1000万円と、Aに支給した給料の賠償を求めることができるだろうか。

 

【解説】

本件は、いわゆる「間接損害」とよばれる類型である。不法行為の直接の被害者ではない第三者に対して間接的に生じた損害について、賠償する責任があるのか/どの範囲で賠償すべきなのか、という点が問題になる。

 

実務をやっていると、意外と損害論が難しいなぁと思うことは多い。司法試験ではいくらを損害とすべきか、といった点についてはあまり聞かれないもんなぁ。そのため、相手方代理人から「え、ここまで損害として主張するの?」とびっくりするような主張が出されることもあり、意外と反論には苦労する。

 

さて、間接損害には、一般的に、①企業自身に生じた追加費用や減益等の損害(企業損害)と、②従業員の休業にもかかわらず会社が給与を減額せずに支払ったことによる損害(反射損害)があるとされる。上記の【事例】では、1000万円の逸失利益が企業損害であり、Aに対する満額の給料の支払いが反射損害ということになる。

 

順に見ていこう。まず、企業損害について。この問題を考えるに当たって無視できないのが、最判昭和43年11月15日である。事案としては、薬剤師Dが死亡した事件について、そのDが代表を務めていた薬局Eが加害者に対して逸失利益を請求した事案であり、最高裁は、Dと Eとが経済的に一体をなす関係にあると認め、その事実関係のもとにおいては、Dに対する加害行為とEの逸失利益との間には相当因果関係があるとして、Eによる請求を認めた、というものである。

 

この判例を受けて、実務は、①被害者個人に実権が集中していること、②その被害者に機関として代替性がないこと、③会社と被害者との経済的一体関係があるかどうかをメルクマールとして、企業損害が認められるかを判断している。

 

さて、それでは上記の【事例】ではどのような判断がされることが予想されるだろうか。おそらく、Bの請求は「認められない」。単なる従業員については、いくらその人が有能であろうが、会社の実権が集中していることはあり得ず(①)、基本的には代替性があると考えられ(②)、仮に代替性がない才能を持っている従業員であったとしても、会社とその従業員との経済的一体性を認めるのは無理がある(③)。価値観的にも、そうした人材の得喪については、会社がそのリスクを負うべき話であって、上記の判断は正しいものであると思われる(例えば、Aが家族の都合で会社を辞めた結果、会社が1000万円の利益を得られなかったとしても、それは仕方がない話である。Aが自主的に辞めた場合と、怪我によって辞めざるを得ない場合とで、会社が追うべきリスクを変える必要性はないと思われる。)。

 

このように、企業損害が認められることは、そう多くはないことに注意が必要である。

 

次に、反射損害について見ていこう。「なるほど、企業損害が認められる余地が少ないとなると、会社は本来ノーワークノーペイの原則に従って、従業員に対してお金を支払わなくても良いから、反射損害を認める必要性はなく、企業損害よりもハードルが高いのかな」と思う人もいるだろうが、実は、反射損害を認める事例は少なくない。

 

これはなぜかというと、意外と法律構成によっていけてしまう、というのが理由である。会社は、従業員が休業した場合であっても、労働基準法やその他就業規則によって会社に給与の支払い義務がある場合があり、この義務の履行として給与を支払った場合には、賠償者代位(民法422条)、第三者弁済(民法499条)などの類推適用によって、支払請求をする余地が出てくるのである(賠償者代位の規定を類推適用したものとして、最判昭和36年1月24日)。そのほかにも、事務管理や相当因果関係を利用して賠償を認める裁判例もある。上記の【事例】では、Aに対して支払った給与については、何かしらの法律構成によって賠償が認められるということになるものと思われる。

 

以上の次第で直接の被害者以外に生じた損害であっても、一定の場合には損害賠償義務が発生することになる。

 

今日はこのくらいで。

裁判官に関する書籍まとめ

単なる備忘録。裁判官の頭の中ってどんなものなのかを知るための材料。絶版も多く、図書館で探す必要ありそう。

 

裁判官出身者による書籍

原田國男「裁判の非情と人情」

井上薫 著者多数

大竹たかし「裁判官の書架」

石川義夫「思い出すまま」

岡口基一 著者多数

千葉勝美「憲法判例と裁判官の視線」

木谷明「無罪を見抜く」

倉田卓次「裁判官の書斎」

高橋隆一「裁判官失格」

矢口洪一「最高裁判所とともに」

矢口洪一オーラル・ヒストリー政策研究大学院大学C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト, 2004.3

 

 

弁護士出身の書籍

山浦善樹「お気の毒な弁護士」

 

債権法改正~約款について

【はじめに】

債権法改正には、大きく分けて3つのカテゴリーがある。すなわち、

  • 判例法理の明確化
  • 通説的な理解の明確化
  • 実質的なルール変更

である。これらのうち、前二者については、これまで民法を勉強したことがある人であれば、過去の遺産である知識を利用することで、何とか対応が可能である。

他方、最後の「実質的なルール変更」については、きちんと債権法改正をチェックしなければならない。こういうところが当たり前にできることが、最低限の専門家としてのマナーだよな、とか思う。

実質的なルール変更には、大きく分けて、次の5つのテーマがある。

  • 消滅時効
  • 法定利率
  • 債権譲渡
  • 保証人制度
  • 約款

そういうことで、今回は、約款について学んでいきたいと思う。

 

【約款に関する規定の新設の必要性】

約款とは、一般に、大量の同種取引を迅速・効率的に行うために作成された定型的な内容の取引条項である。鉄道やバスの運送約款、電気やガスの供給約款、保険約款、インターネットサイトの利用約款等、社会には様々な約款が用いられている。

ところが、約款をきちんと隅々まで読んで電車に乗るような人はほとんどいないのが実際である。これは、民法が当初予定していた、「当事者は契約内容についてはきちんと認識した上で、その法律効果を享受する旨の意思表示をする」という類型からは、異なった実態となっている。そうすると、当事者は、約款なんて読まないわけだから、認識していないものについては承諾の意思がなく、約款に拘束されない、とできるのであろうか。もちろん、こういった主張を認めてしまっては、社会において約款が果たしている役割を無視するもので、かえって取引社会の安定性を害する。では、いったいどのような場合に、当事者(つまり消費者)は、約款の内容に拘束されるのであろうか。

実は、約款は、社会で重要な役割を果たしている一方で、旧法下においては、明文の規定が存在していなかっただけでなく、その解釈についても様々な争いがあった。そこで、今回の債権法改正で、約款に関するルールが定められた、というわけである。

 

【約款の定義】

約款について、改正民法では、定型定款という言葉が用いられており、それによれば、定型定款とは、

定型取引(ある特定の者が不特定多数の者を相手方とする取引であり、その内容の全部⼜は⼀部が画⼀的であることがその双⽅にとって合理的なもの)において、契約の内容とすることを⽬的としてその特定の者により準備された条項の総体をいう、とされている(民法548条の2第1項)。なお、注意がひつようなのは、「取引内容を画一化することが双方にとって合理的」であることが必要なのであって、約款の内容が恐ろしく不合理であっても、定型約款に当たり得る。約款の内容についての規制は、後に述べる不当条項の排除による。

 

定型約款の典型例は、既に述べた通り、運送約款や保険約款である。他方、定型約款に該当しない例としては、労働契約が挙げられる。労働契約は、不特定多数の人と画一的な契約を結ぶものではなく、労働者の個性によって条件が変動することとなろうし、また、労働者にとっても、労働契約を画一化することに合理性はないからである。

 

【定款の内容が契約内容になる条件】

次に、定款の内容が契約内容になる条件についてみていこう。定型約款の定義に該当すれば、当然にその内容に拘束されるわけではなく、民法は、一定の要件を課している。それによれば、

  • 定型約款を契約の内容とする旨の合意をしたとき、又は、
  • 定型約款を準備した者(以下「定型約款準備者」という。)があらかじめその定型約款を契約の内容とする旨を相⼿⽅に表⽰していたとき。

に、定型約款の内容が契約の内容になるとされる。このうち、前者については、旧法下においても黙示の合意という手法を用いて契約内容とされることがあった(例えば、運送約款の場合であれば、まぁ、小難しいことは分からないけど、運送約款に従って契約が締結されるんだろうし、その内容に拘束されても仕方ないよな、と思いながら契約している人が大半ではなかろうか。)。

他方、後者は重要な改正であって、約款によることについて明示又は黙示の合意がなかったとしても、あらかじめ定型約款を契約の内容とする旨を相手方に示していれば、約款の内容が契約に組み込まれることになる。この「あらかじめ表示」というのは、明示又は黙示の合意に代わるものであるので、約款の内容を一般的に「公表」するだけでは足りないとされる。つまり、契約に際して、「弊社の約款を内容としますよ」ということ個別に示す必要がある、ということである(なお、鉄道やバスについては特別法があり、「公表」で足りるとされている。いちいち個別に約款を提示することは事実上不可能である。)。この「公表で足りない」というのは結構曲者で、例えばクロネコヤマトの宅急便も約款による取引がされているが、「約款を契約の内容にします」という旨の記載を、契約締結前に何とかして消費者側に表示をする必要があるわけである(多分元払い伝票のどこかに記載があると思われる。)。

 

【不当条項の排除】

このようにして約款の内容が契約の内容に組み込まれるとしても、消費者側としては、当然(?)、約款の内容などきちんと読んでいないわけなので、約款の中に不当な条項が含まれていてもそれに拘束される、というのでは、おかしい。そこで、民法は、契約の内容とすることが不適当な契約条項について、次のようなルールを定めている。

  • 「前項の規定にかかわらず、同項の条項のうち、相⼿⽅の権利を制限し、⼜は相⼿⽅の義務を加重する条項であって、その定型取引の態様及びその実情並びに取引上の社会通念に照らして第⼀条第⼆項に規定する基本原則に反して相⼿⽅の利益を⼀⽅的に害すると認められるものについては、合意をしなかったものとみなす。」(民法548条の2第2項)。

もちろん、信義則違反や権利濫用といった一般法理でも対応は可能なのであるが、民法は、約款に関して、考慮要素等を明示することで、より具体的なルールを提示しているというように理解することができよう。

 

【定型約款の内容の表⽰】

以上のように、定型約款については、「定型約款の内容を契約の内容とする旨」を相手方に伝えていれば、定型約款の内容が契約の内容になるわけであるから、消費者側としては、約款の記載内容について知りたいと思った場合にはこれにアクセスできることが必要である。そこで、民法548条の3は、消費者側からの求めがある場合には、事業者側はの内容を遅滞なく示さなければならず、これをしなかった場合には、約款の内容は契約の内容にはならない。

 

【定型約款の変更】

約款が用いられる契約の中には、長期間にわたるものも含まれる。例えば、保険契約とか、身近なものだとクレジットカードに関する契約もそうであろう。こうした長期間にわたる契約については、途中でその約款を変更する必要性が生じる場合がある。例えば、(どことは言わないが)あるクレジットカード会社は、かつて1.75%のポイント還元をしていたが、途中で、事業的に無理が生じたのか、「これからは1.25%」としますとして、消費者の目線からすれば、「勝手に」ポイント還元率を引き下げた。こうした事業者側による一方的な約款の「変更」が認められるか、というのがここでの問題である。もちろん、普通は、契約条件を当事者の一方が勝手に変更することができるはずはない。しかし、そうすると、例えば、上記のクレジットカード会社の事例でいうと、クレジットカード会社は、すべての消費者に対して個別に合意を取らなければ、ポイント還元率を引き下げることができないのか、という問題になってしまうが、これは現実的ではない。定型約款の事後的変更は、一定のルールのもとで認る余地を設けなければ、定型約款自体が使いにくくなってしまい、取引秩序に支障を及ぼしてしまう、というわけである。

そこで、民法548条の4第1項は、次のような場合には、変更後の定型約款の条項について合意があったものとみなし、個別に相⼿⽅と合意をすることなく契約の内容を変更することができるとしている。

  • 定型約款の変更が、相⼿⽅の⼀般の利益に適合するとき。
  • 定型約款の変更が、契約をした⽬的に反せず、かつ、変更の必要性、変更後の内容の相当性、この条の規定により定型約款の変更をすることがある旨の定めの有無及びその内容その他の変更に係る事情に照らして合理的なものであるとき。

前者は、消費者側にとって利益なのであれば、別に変えても問題ないだろうということである。他方後者は、ケースバイケースの判断、ということである。

 

今日はこんなところで。