へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

訴因変更の可否について自分が理解するところ

訴因変更の可否って難しいですよね。正直学生の頃は全然理解していませんでした。そこで,復習の意味も込め,実務の経験を踏まえて自分なりに整理してみました。異様に長いですが,訴因変更の可否が分からないという方に少しでも参考になればと思います。ただし、記事の内容は私見ですので、疑問があればご自分で調べてください(突然の責任転嫁)。

質問,批判等のコメントいただけたら,気が向いたときに返事します。

【設例】
検察官は,被告人を,「被告人は,平成29年1月1日,〇公園において,暴行を加え,被害者から10万円を喝取した。」との恐喝罪で起訴した。これに対して,被告人は,捜査期間中は黙秘を続け,第1回公判手続において,当日はアリバイがあり,自分は犯人ではないと主張した。検察官は,この被告人の主張を受けて被害者に確認したところ,被害者は,被告人にお金を脅し取られたのは,平成29年1月8日のことで,しかも,暴行を加えられ他に,ナイフまで示されて金を出すように言われたと供述し始め,しかも,補充捜査の結果,この事実が裏付けられた。そこで,検察官は,「被告人は,平成29年1月8日,○公園において,暴行を加えるとともにナイフで脅迫して被害者の反抗を抑圧し,被害者から10万円を強取した」との訴因に変更する旨請求し,裁判所からの訴因変更請求の理由の釈明について,上記の捜査経過を説明した。弁護人は,これに対して,公訴事実の同一性がないとして,訴因変更を許可することは違法であるとの意見を述べている。裁判所は,訴因変更を許可すべきか。

【問題の所在】
刑事訴訟法312条1項は,公訴事実の同一性を害しない限度で,訴因変更を許さなければならないと規定する。上記の検察官の訴因変更を許可できるかは,変更後の訴因が,変更前の訴因と公訴事実の同一性の範囲内に含まれるか否かによる。そこで,この「公訴事実の同一性」をどう判断すればよいかが,ここでの問題である。

(なお,訴因変更の要否は,「裁判所が,公訴事実と別の罪となるべき事実を認定したい」という場合に,訴因変更の手続きをとることが必要かという論点であり,検察官が訴因変更を請求してきた場合には,これを論じる必要はないので注意が必要である。)

公訴事実の同一性の判断について,学生の頃の自分は,「公訴事実の同一性は,公訴事実の単一性と公訴事実の狭義の同一性の2つに分けられ,前者は刑法上の罪数を基準に,後者は基本的事実関係の同一性を基準に判断する。基本的事実関係が同一かどうかについては,両訴因が非両立かを考慮する。」なんて論証をしていた。正直な話,なんで単一とか同一であれば訴因変更が許されるのか、そもそも非両立基準とは何かについて,その内実を今一つ理解していなかった。そのため,どのように当てはめをして良いのかわからず、司法試験では訴因変更の可否が出ないことを祈って受験会場に臨んだ(幸い出なかった)。

しかし,この問題は,難しい言葉を暗記するのではなく,その内実をキチンと理解するところから始めなければならないし,内実をきちんと理解すれば,あてはめで苦労することもないはずである。

なお,結論を先取りして言うと,訴因変更の可否は,「変更前後の訴因が一つの刑罰権の範囲に入っているかどうか」によって判断され,その際の判断指標として,「変更前後の訴因が刑罰権の行使として両立するか」が有用であるというのが私の理解するところである。この結論を意識して,本文を読み進めてほしい。

【公訴事実の同一性の判断基準】
公訴事実の同一性は,訴因変更の可否の基準となるものであるから,公訴事実の同一性の範囲内で訴因変更を認めた法の趣旨は何なのか,という点から考えてみよう。

一つの考え方として,訴因変更の制度は,訴訟経済と被告人の応訴の負担を調和させたものだと考えることができるかもしれない。すなわち,刑事訴訟においては,検察官が設定した当初訴因に基づいて審理が進められるが,当然,審理の経過によっては,当初設定された訴因とは別の犯罪の成立が疑われることがある。この場合に,訴因変更を一切許さなかった場合,当初訴因について無罪判決をした後,改めて,新たに設定された訴因について一から証拠調べを実施しなければならなくなる(書証ならまだ良いが,例えば,被害者を証人として再び法廷に呼び,同じことを証言させるというのは,不必要な負担をかけることとなる。)。訴因変更を認めなかった場合,当事者や関係者に対する負担が重く,手続も煩瑣であり,訴訟経済に反する。もっとも,訴因変更を無制限に認めては,一つの訴訟手続を利用して訴因変更が繰り返され,被告人は終わりの見えない訴訟手続に付き合わされるおそれがあるし,一度取り調べられた証拠が一体どんな犯罪の立証のために流用されるかも分からない。そのため,訴因変更には一定の限界を設ける必要がある。そこで,訴因変更は「公訴事実の同一性」の範囲内に限られている。

こうした理解は,決して間違ってはいないように思える。もっとも,上記のアプローチからは公訴事実の同一性の意義を見出そうとしても,明確な基準を見出すことは難しいであろう(被告人の防御を害しない程度、あるいは、被告人の防御にとって予測可能な範囲内、といったふわっとした考え方になると思われる。なお、基本書には、このアプローチから記載されているものもあると思うので(少し古いものは特に)、注意する必要がある。)。

むしろ,個人的には,「公訴事実の同一性」の意義を検討する上では,公訴事実の同一性の範囲内で訴因変更を認めているのは,刑罰権は一つの有罪判決によって行使すべしという刑事訴訟法の理念を訴訟係属中においても実現するため,という考え方の方が優れていると思う。

すなわち,刑事訴訟法は,「公訴の提起があった事件について,更に同一裁判所に公訴が提起されたとき」には,判決で公訴を棄却することとし(338条3号),また,「確定判決を経たとき」には,判決で免訴の言い渡しをすることとしている(337条1項)。こうした二重起訴の禁止や一事不再理効の規定は,「同一の犯罪について,重ねて刑事上の責任を問はれない」とする憲法39条の規定を担保するものとして理解することができる。このように,刑事訴訟法は,一つの刑罰権は一つの有罪判決によって行使されることを目指している。

ところで,実際の訴訟では,【設例】でも示したとおり,訴訟経過や証拠関係に照らして,設定された当初訴因を変更する必要が生じる場合はあり,また,その変更の度合いは様々である。この際に変更の程度が一つの刑罰権の範囲内のものであれば,当然,別訴を提起させるべきではなく,訴因変更手続きをとることによって同一訴訟手続で処理すべきであろう(別訴を提起したとしても,公訴棄却の判決が出ることが予想されるが,そもそもそういった訴訟を併存させることが二重処罰の危険性を生じさせている。)。他方,変更の程度が著しく,一つの刑罰権の範囲に入らない場合については,別訴によらなければならないとする方が,手続的に安定するし,合理的であるといえよう。

つまり,一つの刑罰権の範囲内→訴因変更,一つの刑罰権の範囲外→別訴提起という整理を刑事訴訟法は予定していると考えるわけである。こうすることによって,一つの刑罰権の行使に当たって,2つ以上の訴訟が併存することを防止し,もって,二重処罰の危険が生じることを回避することができる。

これを,「公訴事実の同一性の範囲内で訴因変更が許される」という制度に当てはめて言い換えると,「刑事訴訟法は,公訴事実の同一性を欠く場合には,別訴を提起させ,公訴事実の同一性がある場合には,訴因変更を用いて同一訴訟内で処理すべきとすることによって,一つの刑罰権の行使に当たって,2つ以上の訴訟が併存することを防止し,もって,二重処罰の危険が生じることを回避することをその趣旨・目的としている」,ということができる。こうした趣旨からすれば,結局,「公訴事実の同一性」とは,「一つの刑罰権の範囲内にあるか」を基準として判断すればよい,ということになろう。このアプローチの方が,基準として比較的明確であり,個人的には思考整理もしやすくて優れていると思っている(し,言葉としてもスッと入ってくる気がする。)。

ただ,どのような場面が1回の刑罰権の行使によって処理すべき事件の範囲内にあるか,ということは,なかなか説明がしにくい。そこで,視点を変えてみよう。「1回の刑罰権の行使によるべき」とは,すなわち「2回(以上)の刑罰権の行使によるべきではない」ことを意味する。訴因変更の場面に引き直して言い換えると,「旧訴因と新訴因について両方有罪にした場合,刑罰権を二重に行使する」関係にあると言えれば,「旧訴因と新訴因は1回の刑罰権の行使によって処理すべき事件の範囲内にある」といえる。

それでは,どういった場合が「刑罰権を二重行使する関係がある」といえるのであろうか。個人的にイメージしやすいと思う方法は,次のように仮定してみる方法である。

  • (被告人には申し訳ないが)変更前後の両訴因につきとりあえず有罪になってもらう。
  • その後、被告人又は弁護人の立場になってみて,「いやいやおかしい,二重処罰だ」と言いたくなるかを検討する。

被告人又は弁護人の立場になって,二重処罰の実質があることをきちんと説明できるような事例であれば,刑罰権を二重行使する関係があるといえ,翻って,旧訴因と新訴因は1回の刑罰権の行使によって処理すべき事件の範囲内にある(公訴事実の同一性がある)ということができる,というわけである。

【公訴事実の同一性がある場合の例その1その2】
では,新旧両訴因を有罪にした場合,刑罰権を二重に行使する関係にあるかは,具体的にどのような場合なのであろうか(言いかえれば、どのようなときに被告人側から不満が出るであろうか。)。

典型的なのは,従来から公訴事実の単一性と呼ばれてきた類型である。すなわち,罪数上一罪の関係にある犯罪については,1個の刑罰権の行使しか認められないので,別々に有罪判決を下した場合、明らかに二重処罰となる。例えば,牽連犯の関係にある住居侵入と窃盗をそれぞれ別々に有罪にした場合,被告人としては「なんで科刑上一罪のところを別々に処罰されないかんねん!一罪を分割して処罰するのは二重処罰に当たる典型例だろう!裁判官は罪数論も知らんのか」と言いたくなる(はず)である。したがって、当初住居侵入のみを起訴していた場合に、その住居侵入と牽連犯の関係にある窃盗罪に訴因変更することは可能である(他の例としては、観念的競合の場合かな。あんま考えにくいけど、公務執行妨害→傷害とか。)。

もう一つ典型的なのは,両方の訴因が実体法上の理解から両立しないものである。例えば、物を盗み、それをその後に壊したという場合,実体法上は,窃盗罪と器物損壊罪は同時に成立しないとされる(不可罰的事後行為)。この場合,刑法上の理解だと,両方を有罪にすることはできないのに,窃盗罪と器物損壊罪の両方を別々に有罪認定した場合,「実体法上は両立しないのに,なんで両方有罪になるねん。刑法の教科書を読みなおしてこい!」という正当な批判が被告人から来るであろう。

ここまでは、当てはめは比較的簡単である。なぜならば、「科刑上一罪」とか「不可罰的事後行為」といったキーワードを挟むことによって、両方の訴因が両立しないことを簡単に説明することができるからである。これら科刑上一罪の場合や,不可罰的事後行為の場合は,それぞれの訴因は事実としては両立するが(住居侵入行為と窃盗行為は事実としては両立するし,窃盗行為とその後の器物損壊行為も,事実としては両立する),法的には両方成立しえない場合と整理することができる。

【公訴事実の同一性がある場合の例その3】
他方,当てはめが難しいのが,それぞれの訴因は,ぱっと見ると併合罪(=一罪ではない)の関係であるように見えるのに,実際には前提となる事実関係が両立せず,結果,法的に両方成立しえない場合である(便宜的に「第3の類型」と呼ばせてもらう。)。例えば,令和元年の新司法試験の論文問題がこれに当たる。事案をデフォルメして記載すると,次のようなものである。
***
検察官は,次のような公訴事実で被告人を起訴した。
「被告人は,平成30年11月20日,X社の顧客Aから売掛金として集金した現金3万円をX社のため業務上預かった。しかし,被告人は,同日,A方付近において,その3万円を,自らの借金返済のために着服して横領した。」
しかし,その後,公判において,検察官は,被告人は当時集金権限を有していないことが発覚したとして,次のような訴因へと変更することを請求してきた。
「被告人は,平成30年11月20日,X社の顧客であるA方において,Aに対して,本当はX社の売掛金を集金する権限がないのに,「集金に来ました,合計で3万円です。」とうそを言い,Aから3万円をだまし取った。」
裁判所は,この訴因変更を許可すべきか。
***
この事例は,公訴事実の同一性があり,訴因変更が可能だというのが,正答である。そうであれば,両方を有罪にした場合,二重処罰になるはずである。ところが,この事例では,変更前の訴因はX社を被害者とする業務上横領罪で,変更後の訴因はAを被害者とする詐欺罪であるので,ぱっと見,併合罪のように見える。

そうであれば,両者は二罪の関係にあるとして,両方の犯罪を別々に成立させて良いのだろうか。しかし,実際問題として,(被告人には悪いが)被告人を変更前後の訴因で有罪にしてみよう。被告人としては,「は?なんの話してんの?3万円を懐に入れたのは認めるけど,合計6万円分の犯罪が成立するの?日本の司法っておかしくね?」という心境に至るのではなかろうか。つまり,上記の事例における変更前後の訴因は,被告人がAから3万円を受領し,それを自己のものとして領得したという流れについて両方の訴因は共通しており,それをどのような犯罪として構成するか(受領権限があり横領とするのか,受領権限がなく詐欺とするのか)が違うだけなのに,これを別々に有罪にすると,被告人としては,意味が分からないということになるというわけである。

このように,この事案では,実は,前後の訴因は両立しないし,させてはならないのである。さて,これをどうやって説明すればよいのか,というのが最大の悩みどころではないだろうか(新司法試験でも,この説明が問われたわけである。)。

まず,「両方の訴因に記載された事実の記載を単純に比較することで、基本的事実関係が同一性かを検討する」という考え方は、間違っている。
上記の考え方で実際に当てはめをしてみてほしい。新旧訴因はところどころ違っており,同じなのは,訴追されているのが被告人であること,犯行の日付,被害金額が3万円であることくらいである。行為は,「A方付近で会社のために保管していた3万円を横領したこと」と,「A方でAから3万円を詐取したこと」で,全然違うし,被害者も,旧訴因は会社であり,新訴因はAである。犯罪行為も被害法益も全然違うのに,訴因の文言だけから基本的事実関係が同一だというのは,説得力がない。このように,公訴事実の記載のみを並べ立てて説明しようとする試みは,成功しないであろう(ダメ押しでいうと,もし訴因の字面の比較だけでよいなら,試験問題は、訴因を2つ並べて、訴因変更が認められるかを問えばよいはずである。試験問題にわざわざ関連する事情が書かれているということは,公訴事実の字面以外の事情も考慮することを当然の前提としている,というのが出題者の意図であろう。まぁ,ひょっとしたらうまく説明できる人もいるのかもしれんが…)。

では,どうすればよいか。ポイントは,既に述べたところからも示唆されているとおり,変更前後の訴因に,刑罰権を二重行使する関係があるといえるか,である。そして,その手掛かりは,さっきの被告人の叫び声である。つまり,変更前後の訴因が,同一の事実関係を前提としており,一方の犯罪が成立すれば,もう一方の犯罪は成立しないはずだ(業務上横領が成立すれば詐欺は成立しないし,逆もまた然り,のはずだ。),つまり変更前後の訴因は「非両立」の関係にあるはずだ,という点である。

このように説明すると,「変更前後の訴因が同一の事実関係を前提にしているとか,AがBから受領した3万円と,Aが着服した3万円が同一だとかいうけど,それをどうやって説明すればいいの?最悪,Aが着服した3万円は,Bから受領した3万円とは別の3万円という可能性だって,訴因の記載自体からは完全には否定されないよね。背景となる社会的事実を考えることができればいいかもしれないけど,それは訴因対象説と整合しないって言われるじゃん。」という疑問を持たれる方もいるのではなかろうか。

ここで重要なのは,訴因の設定権限は検察官が持っているという点である。そして,「訴因」というのは,公訴事実に記載された事実関係ではあるものの,その文字面だけで特定されるものでははなく,「検察官が一体どのような事実関係で公訴事実の訴追を求めているか」という点も含めて考慮されなければならないという点である。言い換えれば,変更前後の訴因の基本的な事実関係が同一かは,「検察官の訴追意思」を踏まえて公訴事実を考えないと,出てくるはずがないのである。例えば,検察官による釈明の内容は,公訴事実に記載されていなかったとしても,訴因変更の許否を判断する上で考慮するが,それは,検察官の訴追意思を踏まえて訴因を検討できることの裏返しである。検察官による釈明を踏まえて,いわば公訴事実に色を付けて理解するとでもいえようか。

このように説明すると,「検察官の訴追意思っていうけど,エスパーかいな。どうやって検察官の意思を認定するねん」,と思われる人もいるかもしれない。ここで見落としてはならないのは,検察官は一定の証拠関係を踏まえて訴因を設定していることと,検察官が訴因変更を請求するということは,何かしらの事情の変化があったはずである,という点である。例えば、令和元年の新司法試験の問題だと,被告人がAから会社のための集金として受け取った3万円が問題になってきている中で、関係者が口をそろえて「やっぱり被告人には集金権限がなかったよ。」と言いはじめたわけである。その後,検察官が訴因変更をしてきたわけであるが,さて,検察官はどういった意図で変更後の訴因を設定したをしたのだろうか。答えは明らかで,検察官は,被告人の集金権限の変化に対応して,一連の金銭の流れの法的構成を,業務上横領から,詐欺罪に変える趣旨で訴因変更をしたものである。

このように,裁判所は,「訴因変更が問題になる時点では,裁判所は証拠調べの結果を含め訴訟経過を把握している」わけで,訴訟指揮をしてきた裁判所は,それまでの訴訟経過を踏まえれば,変更前の訴因と変更後の訴因を比べて,それが非両立の関係にあるかどうかを,比較的容易に判断することができるわけである(訴訟経過を一種の間接事実として,検察官の訴追意思を認定している,ということもできる。)。

※補足※ なお,非両立の基準において,何を基礎として考えることができるかについては,考え方の対立がある。以上の私の説明は,ひょっとしたら訴因に記載された事実を比較すべきだという立場からは,相容れない説明をしているかもしれない。ただ,個人的な感覚としては,なんというか,公訴事実に記載された事実というのは,いわば民事訴訟における「訴訟物」であり,その訴訟物を特定する事実に関する主張を踏まえないと,その訴訟物が一体どのような訴訟物に基づいたものなのかを特定することができないのと同じように,公訴事実を基礎づける具体的な事実関係に関する検察官の主張を踏まえないと,その公訴事実が一体どのような刑罰権の範囲にとどまるかは理解できないのではないか,と感じている。そのため,公訴事実の記載に止まらず,その背景事実に関する検察官の主張も踏まえて訴因変更の可否は考えるべきだと思っている。

以上の次第で,上述の司法試験の問題でいえば,「検察官の訴追意思」を踏まえて考えれば,変更前の訴因と変更後の訴因は,同一の事象に関するものであり,変更前後の訴因を両方有罪にした場合,Aから被告人に対する1回のお金の流れを法的に二重に評価して処罰することになってしまうことは,裁判所の目には明らかなのである。

他の例を挙げると、覚せい剤の自己使用とかだと、提出された尿鑑定につながる一つの使用行為が問題とされていることは明らかであるから、使用日時場所がある程度ずれようが、それを別々に処罰してしまうと1回の覚せい剤使用行為を二重に評価して処罰してしまうことになることは明らかで、これも事実的にも法的にも両立しない訴因なのである(したがって、使用日時場所が異なる訴因への変更は、当然認められる。)。

なお,「検察官の訴追意思」は,証拠調べの経過を見ればわかる,なんてことを言うと,「証拠調べが終わっていない段階で訴因変更が来たらどうするか」という質問が来そうだが(実際、公判前整理手続の段階で訴因変更が来ることもある。),簡単なことで,目の前にいる検察官に対して,釈明してその意図を確認してもよいし,あるいは,より慎重に,判断資料がそろうまで,訴因変更の決定を留保してもよいだろう(公訴事実の同一性がある場合には訴因変更は許さなければならないが,公訴事実の同一性があるか判断できない場合に,判断を留保することはありうる訴訟指揮であろう。まぁ、実際問題公判前整理手続で判断を留保してしまうと、主張と争点の整理をするという公判前整理手続の目的が達成できなくなるから、実際上は公判前整理手続の段階で判断するべきとは思う。)。

【小括】
そんな感じで,上記のようないわば「第3の類型」としての両訴因が両立しない場合にも,これを両方とも有罪にしたら,被告人はたまったものではないので,刑罰権を1回行使すべき場面であるといえ,公訴事実の同一性があり,したがって,訴因変更は許される,ということになる。

ただし,このいわば「第3の類型」によく似たものとして、さらに学生を混乱させる例がある。この点については,さしあたり立ち入らず,基礎を固めることを優先した方が身のためだとは思うが,念のため【蛇足】の部分で触れる。

以上の次第で,1個の刑罰権を行使すべき場合はどんな場面があるかを長々と見てきたわけだが,これが,昔から論証とかで述べられている「公訴事実の単一性と,公訴事実の狭義の同一性」と一致しているわけである。こうしてみると,わざわざ単一性とか狭義の同一性とか言うまでもなく,変更前の訴因と変更後の訴因が「刑罰権の行使という観点から」両立しないかどうか,という観点から見ていけばいいということになる(と私は思っている。)。まぁ,つまり,訴因変更の可否は,いわゆる「非両立性基準」で判断すべきだ,と思うわけである。

このような理解を前提とすれば,訴因変更の可否のあてはめは,変更前の訴因と変更後の訴因を比べて,その両方を処罰したら二重処罰になってしまうためおかしいということを言えばよいということがわかり,あてはめの対象もすっきりするはずである。

【設例に対するあてはめ】
以上の理解を前提に,設例について訴因変更の可否についてのあてはめをすると,次のような感じだろうか。

「変更後の訴因は,変更前の訴因の1週間後の出来事であり,かつ,行為態様も,ナイフを用いた強盗行為となっている点が異なっており、一見すると併合罪の関係にある別々の事件であるようにも思われる。しかし,変更後の訴因は、変更前の訴因と被害者及び被害額が同一であり、検察官の釈明内容によると、新旧訴因で上記の時期及び犯行態様に変更が生じたのは,これらの点に関する被害者の供述が変遷し、また、その内容が補充捜査によって裏付けられた結果によるというのである。こうした新旧両訴因の記載の共通性と検察官が訴因変更請求をした経過に照らせば,変更前後の訴因は,その犯行日時の相違にかかわらず、被害者から被告人に対する同一の金銭の流れにつき,これを恐喝として法的に構成するか,あるいは,新たなナイフの使用という事実を付け加えて強盗と法的に構成するかの違いがあるにすぎないといえ,一方の犯罪が成立すれば,他方の犯罪は成立しない関係にあるというべきである。したがって,新旧両訴因は,基本的事実の同一性があり,法的に非両立の関係にあるというべきであるから,公訴事実の同一性が認められる。」(なお、受験生っぽく書いてみたので、実際に実務で起案する文章とはだいぶスタイルが異なる。)

「基本的事実関係の同一性」というキーワードを入れる必要は必ずしもないとは思うが,そこはまぁ,判例に書いてあるということで。さらっと書いてあるが,以上の記載には,これまで述べてきたようないろいろな理解があるわけである。文字面を暗記するだけの勉強方法がいかに危険か分かっていただけるのではなかろうか。

【蛇足】
最後のいわば第3の類型について,学生を混乱させる有名な例がある。結構悩みの種のようなので,具体例を含めて説明する。
***
被告人は,「2020年1月1日,自動車運転上の注意義務に違反して,信号を見落とし,Vを車ではねた」との自動車運転過失致傷罪で公訴提起された。被告人は,捜査段階から一貫して,自分が車を運転してVをはねたと供述していた。
ところが,被告人は,被告人質問において,突然,次のような供述をした。
「私がVをはねたというのは嘘です。本当は,私は助手席に乗っていただけで,車を運転していたのは,Aなんです。嘘を言ってすみません。」
これを踏まえ,検察官は,警察官に対して補充捜査をしたところ,実際に車を運転していたのはAであることが確認された。そこで,検察官は,次のような訴因変更請求を行った。
「被告人は,2020年1月1日,警察官に対して,信号を見落としてVを車ではねてしまったとの虚偽の申告を行い,もって,罰金以上の刑に当たる自動車運転過失致傷罪の犯人であるAを隠避させたものである。」(犯人隠避罪)
さて、裁判所は,訴因変更を許可すべきか。
***
繰り返し述べているとおり,この事例は,公訴事実の同一性がある場合,訴因変更で対応すべきであるし,そうでない場合には,過失運転致傷について無罪判決を出したうえ,犯人隠避で公訴提起をせよということになる。

この点について,過失運転致傷の事実と身代わり運転の事実は,事実としては間違いなく「非両立」である(被告人が車を運転し,かつ,Aも車を運転していたということはあり得ない。)。それなのに,公訴事実の同一性がないとされる。なぜだろうか(繰り返すが,個人的には初学者は立ち入べきではないと思う。混乱するので。)。

混乱させるような言い回しを使うが、あくまで非両立性基準は,「法的な非両立性」ということであり,「事実関係の論理的非両立性」とは異なるということである。これまで上げた例は,すべて変更前後の訴因を両方有罪にした場合には,二重処罰になってしまうというものだった。つまり,両方を有罪にすると,二重処罰になるかという「法的な非両立性」を問題にしてきているのである。他方,上記の過失運転致傷と身代わり運転の例でいうと,同じ日時,同じ場所において,同じ車をAとBが別々に運転することは論理的にはあり得ないが,誤って両方の事実が認定されてしまった場合,「一連の行為や結果を二重に評価している」ことにはならない。前提となる事実関係が全く異なっており,両方の訴因には,共通する基本的な事実関係が存在しないから,およそ何かの行為や結果を二重に評価して処罰しているという関係がないのである。上記第3の類型では,被告人が3万円を手に入れるという一連の行為や結果について,業務上横領と詐欺で処罰すると,明らかな「二重処罰」になってしまうが,それと比較してほしい。

そのため,自動車運転過失致傷と犯人隠避の両方を有罪にしても,法的な観点からは「二重に処罰している」ということにはならないのである(逆に,二重処罰になるという説明を試みてみるとよい。多分無理である。)。こうした違いがあるため,上記の場合では,公訴事実の同一性がなく,訴因変更によるべきではない,とされるのである。つまり,過失運転致傷と犯人隠避は,論理的には非両立だが,法的には非両立ではない,というわけである。この微妙な違い,分かるかなぁ。分からなかったら,この問題については忘れた方がいいと思う。限界事例で悩み,基礎をおろそかにするのは,相当ではない。

あー...とても疲れた。

改正刑事訴訟法-被疑者国選弁護人の対象事件が拡大されるのはいつから?

***結論だけ知りたい方向け***

結論からいうと,平成30年6月1日です。
これまでは,死刑、無期又は長期3年を超える懲役又は禁錮に当たる犯罪につき勾留されている被疑者について国選弁護人を付すことしかできませんでしたが、平成30年6月1日からは,勾留されている被疑者全ての被疑者について,国選弁護人を付することが可能となりました(一定の資力要件は必要です。)

***以下,雑談***

 

ふと平成30年の六法を見てみたら、被疑者国選弁護人を選任する対象事件の条文が変わっていた。これまでは、死刑・無期長期三年を超える事件が対象だったが、平成28年の改正により、司法取引が導入されるだけでなく、被疑者国選の対象が、勾留状が発せられた全ての事件になったということは知っていたので、いよいよ変わるのかぁと思った。

ところで、法律が改正された場合、いつから改正後の法律が適用されるようになるのだろうか。せっかくなので、改正刑事訴訟法を例にして、考えてみましょう。

まず、改正法を知らなければ話になりませんので、改正法に当たります。法務省のホームページを参照しましょう(http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji14_00103.html)。
これによれば、刑事訴訟法の一部を改正する法律が、平成28年5月24日に成立し、平成28年6月3日に公布されたことがわかります。

もっとも、公布されれば当然に施行されるわけではなく、改正法には、附則があり、そこにおいて、施行日が明らかにされています。全部を紹介することは面倒なので、国選弁護人の対象範囲に絞って検討しますが、刑事訴訟法の一部を改正する法律2条によって、現行の刑事訴訟法37条の2の「死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる事件について」という文言が削除されています。これによって、被疑者国選の対象が広がったことがわかります(対象範囲の限定が削除されたわけです。)。その上で、改正附則1条4号は、刑事訴訟法の一部を改正する法律2条の規定については、公布の日から起算して2年を超えない範囲内において政令で定める日を施行日としています。

したがって、被疑者国選弁護の対象の拡大は、平成30年6月3日までに制定されるであろう政令によって、その施行日が決められるということになるわけである。

政令をどうやって調べたら良いか?これはおそらく、官報を見るしかないのだろう…しかし,官報は毎日チェックするわけにはいかんので、結局は、ニュースとか,裁判所とかからの公表を待つことになるのでしょう。

とまぁ、そんなこんなで、普段あまり考えないであろう法律の改正についてでした。

***追記***

その後の調査で、平成30年3月22日付の官報の号外第58号で、改正附則1条4号関するものにつき,平成30年6月1日を施行日とする政令が出されていたことが判明しました。これにより,冒頭で述べたとおり,平成30年6月1日から被疑者国選対象事件が拡大されることになります。

居酒屋にお客が置き忘れた財布を取った場合、窃盗罪?占有離脱物横領罪?

【事例】
Aらは,深夜,個人Cが経営する小さな居酒屋でお酒を飲んでいた。Aらの隣には,Bらがおり,Bらが先に席を立った。ところが,Bは,自分の席に財布を忘れたまま帰ってしまった。Aらは,そのことに気づき,Bらが帰ってこないかを観察し,Bらが帰ってから5分後,財布をAのカバンに入れ,その後,店を出て財布の中身を山分けした。Aの罪責は。

【検討】
ここでの問題は、要するに,窃盗罪か占有離脱物横領罪かのどちらが成立するか,である。刑法上,これらの区別は,「占有」の有無によってなされる。Bが忘れてしまった財布につき、「占有」が認められれば、占有侵害があったとして窃盗罪(懲役刑は10年以下)になり、Bの占有が失われていれば、占有離脱物横領(懲役刑は1年以下)となる。

そこで、「占有」とは、どのようにして判断されるのであろうか。この点については、一般的な解釈は確立している。すなわち,刑法上の占有は,財物を事実上支配する状態をいい,その存否は,占有の意思とその客観化としての支配の事実を表す諸事情を総合して社会通念により決せられるが,それは財物に対する現実的な実力行使の可能性と排他性の有無という観点からなされるとされる(大コンメンタール刑法第12巻192頁参照)。

この観点から,まず,B自身に「占有」が認められるだろうか。Bは、小さいとはいえ,人が出入りすることができる居酒屋の店内に財布を置き忘れ、すでに5分間もたってしまっている。こうした状況を踏まえると,流石に置き忘れた財布について事実上の支配があるというのは無理がある。Bが財布を「占有」しているということは無理だろう。

であれば、占有離脱物横領になるのであろうか。ところがどっこい、物事はそんなに簡単ではない。ここで検討したいのは、店主であるCの占有が認められるか否かである。例えば、自分の家の中にあるものについては、たとえその存在を認識していなかったとしても、占有が認められると考えられている。これは、友達が家に忘れていった物を、泥棒が奪っていった場合に、占有離脱物横領罪になるという人はいないであろうことからも推察される(どう考えても窃盗罪である。)。

そうした観点から、次の裁判例を見てみよう。旅館のトイレに忘れてあった財布につき,旅館の占有が認められるとした裁判例(大審院大正8年4月4日判決)である。

同裁判例の事例は、被告人は,旅館森田において,宿泊していた小林さんが屋内の便所に置き忘れた財布を領得した、というものであった。大審院はこの事例について、要するに、被告人の領得した財布は,所有者小林さんの事実上の支配を離脱したものであるが,小林さんが宿泊していた旅館の主の森田さんの事実上の支配がある旅館内の便所にあったものであり,この事実をもってすれば,森田さんが小林さんが財布を置き忘れたという事実を知っていたか否かにかかわらず,当然,その財布は,森田さんの支配内に属するものというべきである。従って,遺失物横領として論じるのは間違っている、としたのである。

この裁判例は、家に誰かが置き忘れた場合と同様に、旅館においても、その管理者の占有を認めたのである。

他方,誰かが管理する場所に誰かが物を置き忘れたからといって、当然にそのものについて占有があるわけではない。例えば、村役場事務室内に納税者が遺失した金員につき,役場の看守者である村長の占有を否定した事例(大審院大正10年6月18日判決)や,鉄道列車内に乗客が忘れていった毛布に対する常務鉄道係員の占有を否定した事例(大審院大正15年11月2日判決)がある。

これらの事例における結論の違いはなんであろうか。おそらく、占有の意思とその支配関係の強さが違うものと考えられる。役場や電車の中は人の出入りが激しく、利用者が落としていった物について、いちいち管理していられない(もし誰かに拾われたら、管理体制が悪いとか文句を言われかねない!)。他方、旅館の事例では、その旅館の規模は明らかではないが、おそらく、小規模な旅館だったのではなかろうか。そうすると、あたかも自宅に誰かが物を忘れていった場合のように、占有を取得する意思や、支配関係があったとしてもおかしくはない。他方、旅館の規模が大きかったりした場合には、同じように語ることはできないであろう。

結局、占有の定義に即して、丁寧に考えていく他ない、ということだ。当たり前のことだが。

こうした観点から設例を検討すると、居酒屋という場所では、たとえそれが小さいものであったとしても、お客さんが座る空間にある忘れ物についてまで管理しようという意思はないのが通常であろうし、支配関係も弱いものということになろう。

いずれにせよ、設例の事案においては、Cの占有はないと考えるのが通常であり、Aらの罪責は、占有離脱物横領罪ということになる。

・・・別に取り立てて難しい問題じゃなかったかな?まぁ、いいか。

少年事件における証人尋問を実施すべきかどうかの判断基準と参考事例と雑感と。

少年事件では,刑事事件とは異なり,一件記録がすべて裁判所に提出される。そのため,裁判所は,少年が否認する供述をしていても,一件記録上,非行事実は十分認定できるとして,証人尋問を実施しないまま少年を保護処分に付す,という事態が生じる。

 

実際,少年事件においては,刑事訴訟法のような詳細な証拠調べに関する規定はない。他方,最決昭和58年10月26日は,「非行事実の認定に関する証拠調べの範囲,程度,方法の決定も,家庭裁判所の完全な自由裁量に属するものではなく,少年法及び少年審判規則は,これを家庭裁判所の合理的な裁量に委ねた趣旨と解すべきである。」としており,一定の場合には,家庭裁判所が証人尋問を実施しない場合,法令違反となる余地を認めている。

なんにせよ,少年事件において証人尋問を実施するかは,裁判官の「合理的な裁量」に委ねられているわけである。

 

とはいえ,「合理的な裁量」であればよいから,少年や付添人の求めにもかかわらず証人尋問を実施しなかったとしても,ただちに違法にはならない(東京高裁平成17年8月10日決定や,東京高裁平成27年10月26日決定等)。

 

しかし,保護処分も,少年にとっては前歴として残る不利益処分であるから,基本的には,刑事手続と同じように,少年に対して反対尋問の機会を保障するなどして,手続保障を充実させるべきではないだろうか。

 

そうした中,東京高裁平成27年7月8日決定は,窃盗保護事件において,共犯少年らの証人尋問を実施せずに非行事実を認定した原決定の手続には,決定に影響を及ぼす法令違反があるとして,事件を差し戻した。

 

事案を簡単に紹介しよう。少年Aは,B及びCと共謀して,オートバイ1台を盗んだとして家庭裁判所に送致された。オートバイ窃盗の事案である。少年の言い分は,要するに,オートバイを盗んだのはBとCであり,自分は,BとCがオートバイを盗んだあとたまたま合流したにすぎない,というものである。そして,東京高裁の判断は,ごく大雑把にいうと,客観的な証拠からは少年が事件に関与したかは明らかでなく,結局,共犯者BCの供述の信用性評価が最も重要であるが,BCの供述には変遷があるなどし,これを裏付ける客観的な証拠もないから,証人尋問をせずにBCの調書に信用性を認めるのは,やりすぎだ,というものである。

 

原決定は,おそらく,共犯者が最終的には一致して少年が事件に関与していたことを供述していたことを重視していたのではないかと思われる。実際,調書の内容が一致している場合のインパクトは,結構大きい。しかし,そこは調書は調書。しかも,少年の調書である。調書の作成は,一般に,警察又は検察が事情をまんべんなく聴き,それを最後にまとめて読みきかせるという手段で行われる。しかし,20分も30分も事情を聞かれ,その後,一気に目の前の刑事が「きみの話をまとめるね」とかいって,調書を作り始めるのである。そして,おもむろに調書が印刷され,「間違っていたら指摘してください」などといって,渡される。中には,20頁とかにわたる調書がある。これで,内容を正確に読みつく理解して,間違いがあれば指摘した上で調書にサインできる少年(しかも中学生)がどれだけいるだろうか。東京高裁は指摘してない(できない?)が,やはり中学生くらいの少年の調書の信用性は,慎重に考えるべきで,少年が一貫して否認するような場合であれば,比較的柔軟に事情を聴くべきではないか,と思う。

 

他方,東京高裁平成17年8月10日決定の事案とかを見ると,悩ましくなってしまう。同決定の事案は,7歳や13歳の女の子に対する強制わいせつなどであり,女の子らの証人尋問を実施しなかった原決定の手続に法令違反はないとしている。どうやら,少年は,観護措置段階まで事実を認めていたが,途中で否認に転じたようである。さて,7歳とか13歳の女の子に当時のことを思い出して話してもらうことがいいものだろうか。少年は捜査段階では自白していて,その取調べ担当警察官の尋問もしている。この辺りを考えて,尋問を実施しないとすることも,あり得ないものとはいえないのでは。証人が小さい女の子であろうが,少年に不利益処分を科す以上,萎縮してはならない,柔軟に証人尋問をすべきだ,というのが正論なのかもしれないが(なお、川出教授はこの決定は疑問だとしている。やはり、証人尋問をすべきという方向でけんとうすべきなのだろう。)。

 

裁判官は,「合理的な裁量」を行使しなければならない。ただ,何が合理的かというのは,考えると結構難しいものだ。裁判官の仕事は,やはり重責を伴うのだろう。

なんだかんだ言っているが,裁判例を見ていると,合理的な裁量かどうかは,一件記録を精査して,少年の言い分にかかわらず十分事実を認定できるといえるか,疑いが残かを基準に判断するべきもので,疑いが残る場合には,躊躇せず証人尋問をやる,というのが,あるべき姿なのかな,とは思う。

少年事件における処遇選択の考え方

今回は,少し毛色を変えて少年事件の処遇選択について勉強してみよう。

少年事件の処遇としては,一般的に,審判不開始→不処分→保護観察→少年院送致という順に重くなっていく(検察官送致,児童相談所長等送致,児童自立支援施設等送致もあるが,ここでは省略)。

少年事件については,刑事事件と異なり,検察官の起訴猶予処分が存在せず,事件として立件されたものは,すべて家庭裁判所に送致される(全件送致主義と呼ばれる。)。したがって,どんなに大したことがない事件でも,立件されてしまえば家庭裁判所が事件を扱うことになる(軽い事件としては,単発の万引き,放置自転車の横領,軽犯罪法違反などが考えられる。)。

そのため,審判不開始や不処分で終わる事件は結構多く,例えば,平成27年の統計では,約7割が審判不開始又は不処分で終局している。

この記事では,最も少年が心配するであろう,少年院送致か保護観察処分かを選択するに当たっての着目点について触れたい。 

なお,前提として,少年を少年鑑別所に収容せずに処理する事件(いわゆる在宅事件)で少年院送致は,実務上,まずないと思ってよい。少年院送致という不利益の大きい処分をする際には,家庭裁判所も慎重に判断しているようであり,鑑別所における心身鑑別の結果を踏まえない少年院送致というのは,たぶん存在しないと思われる。

そういうことで,少年院送致か保護観察(試験観察を経ることもある)かが問題となるケースとしては,観護措置(少年法17条)がとられているケースということになろう。

では,裁判所は,どうやって少年院送致か保護観察かを決めているのであろうか。それは,少年の「要保護性」によるとされる。ここにいう「要保護性」とは,①犯罪危険性(要するに再犯可能性),②矯正可能性,③保護相当性を意味すると言われるが,多くの場合,②と③は無視してよい。結局,少年事件の処分は,少年による再犯可能性がどの程度あるか,という点に求められる。

とはいえ,再犯可能性は将来の予測の問題で不確実であるからこれを確実に予測することはできない。ここが少年事件の一番難しいところである。そこで,家庭裁判所では,行動科学の専門的知見を有する家庭裁判所調査官に少年及び家庭等の調査をさせ,処遇に対する意見を提出させている。この調査官の意見は,裁判官も重視しているようで,調査官の意見が通ることが多い(もちろん,最終判断は裁判官がするから,時には違う処分が下るときもあるのだろうが。)。

再犯可能性を判断する際の考慮要素としては様々なものがあるが,一応,次のようなファクターを総合的に判断するものとされるらしい。すなわち,非行事実の態様と回数,原因・動機,共犯事件における地位と役割分担,非行初発年齢,補導歴・非行歴の有無,保護処分歴の有無,心身の状況,知能・性格,反省の有無,保護者の有無及び保護能力,職業の有無・種類や転職回数,学校関係,交友関係,反社会集団との関係の有無,家庭環境,地域環境,行状一般等である(講座少年保護2ー少年法と少年審判279頁以下)。

「そんな要因を並べ立てられても分からんわ!」というのはもっともな意見なので,もう少しざっくりと分類して考えてみよう。

まず,犯行自体の悪質性が重要である。重大な犯罪をしてしまえばしてしまうほど,再犯可能性や,少年が抱える資質的・社会経験的問題性が根深いことが推測されるからである。そのため,犯行態様の悪質性,動機の身勝手さ,結果の重大性,共犯事件において果たした役割等がまずもって検討される。

次に,少年が抱える問題の根深さも検討される(根深さの程度を図るために,前歴は重視される。)。少年鑑別所において,少年が抱える資質的な問題性,成育歴上の問題性等が分析され,なぜこの少年がこのような犯罪に及んでしまったのかという非行メカニズムが検討される。多くは,その結果を踏まえて処遇が決定される。犯罪に及んだ問題性を分析し,それが社会内では矯正することが難しいとなれば,少年院送致という可能性が高くなる。

さらに,少年の環境的要因も考慮される。典型的には,学業関係,職業関係,家族関係の安定さである。もっとも,これは副次的な要因であり,上記の非行の重大さや問題性の根深さほどは重視されない印象がある。

処遇を決めるに当たっては,概ねこの3つの視点から検討され,社会内処遇で改善更生を図ることができるかが検討される。

ここで,「これだけ反省しているのになぜ少年院なんだ」と不満を抱く少年は多いと思われるので,その点について簡単にコメント。

裁判所から求められるのは,単なる「本当に悪かった」という後悔と反省の念ではない。「本当は優しい子なんです」とよく言われるように,少年自身は,根っこにおいては素直で優しいことが多い。そういった少年らが,なぜ非行に及ぶのだろうか。そこを解明し,解決策を打ち立てなければ,裁判所は,「よし,再犯の恐れはないね」と納得はしてくれないだろう。

だから,少年やその家族には,「犯罪をしたことを深く反省していることを当然の前提として,この事件を起こしてしまったのは,自分の生物学的要因,社会学的要因,環境的要因等の様々な要因につきどのような問題があるのかについてしっかりと向き合って認識し,それを改善するには具体的にどのようなことをしなければならないのかを真剣に考え,それを社会内で実行するという決意と環境を整える。」ということまで求められるのである。そこまで言えて初めて,裁判所を説得できると考えた方が良い。

こうした考えに自主的に及ぶ少年はほぼ皆無であるし,考えが及んだとしても,鑑別所に入れられるくらいの事態に陥っている少年が,社会内で上記の改善に及ぶことができると期待することはできない場合がほとんどである。結局,少年としては,できる限りの反省をしているという認識になっているのに,少年院送致と言われ,納得できない,という事態になってしまう(言い方を変えると,少年としては100点の解答を用意したつもりなのに,裁判所としては,それが30点くらいの評価しかできないと受け止める,ということである。)。

裁判所からこうしたかなり高いハードルを求められている以上,鑑別所に入っている1か月の間でどう変わるかは非常に重要であり,これまでとは違うということを,いかに説得力を持って提示できるかが重要なのである。そして,それを少年のみの力で実現することは,ほぼ不可能であり,少年と家族が共同作業をして,全力で非行の原因や改善更生の在り方を考え,審判までに具体的にこういうことをして,在宅処遇になった場合にはこういうことができるということを提示することが,少なくとも必要なのである。形ばかりの反省文とか謝罪文や示談では,はるかに不十分である。

まぁ,グダグダといったけど,どれだけ少年と親が非行について真剣に考えたかが重要で,それを付添人はサポートするし,調査官や裁判官もその点を見ているのでは,と思う。

・・・ 

最後に,刑事事件のノリでやると失敗しますよ,という点を2点ほど。

 ①要保護性を判断するに当たって,非行事実は重要な判断要素ではあるものの,非行事実の重さに必ずしも比例して処遇が決められるものではない。刑事事件では,いわゆる「行為責任」として,犯罪行為を中心に量刑は考えられるが,少年事件はそうではない。あくまで少年という「人」が持つ要保護性を中心に考えるのである。したがって,単に先生を殴ってけがをさせたという傷害事件であっても,場合によっては少年院送致という結論もありえなくはない。安易に保護観察だとかいう楽観的な見通しを持ってはいけない。

②刑事事件では示談が重要であると言われるが,少年事件の場合,示談をするのは大抵親なので,それが少年の犯罪危険性を必ずしも減じるわけではないという点には注意が必要。示談したから少年院は避けられるなんて考えない方が良い。「示談をするような積極的に動く親がいるから,少年の家庭環境は良好だ」「親に示談してもらったことで,少年は改めて見捨てようとしない親の存在に感謝し,心を入れ替えた」とか,犯罪危険性に結び付く,もう一歩理屈が必要だと思われる。

建造物等以外放火における客体の限定の要否

マイナー論点として,刑法110条の客体を限定して,点火材料として用いられるような紙片などを除くべきか,というものがある。

 

110条の客体を限定すべきとする説は,それ自体を焼損することに意味のあるような物に限定すべきだ,などと主張する。これに対しては,焼損することに意味があるかないかの区別は不明確であり,法文上も,「前二条に規定する物以外の物」と,特段の限定を付されてないとして,110条の客体を限定すべきではないという立場もある。

 

一見すると,非限定説の方が妥当なように思われ,なぜ限定説が敢えて対象を限定しようとしているのか,やや分かりにくい。

 

そこで,次のような設例を考えてみよう。

 

甲は,一人で,自宅で酒を飲みながら,友達が家に残していったタバコを勝手に吸っていた。ところが,甲は,酒が回り,タバコの火を消さないまま眠ってしまった。しばらくして,甲は,息苦しくて目が覚めた。甲が目覚めると,吸っていたタバコが床に落ちており,そこから火が上がっていた。甲は,懸命に消火活動をしたが,火の勢いは収まらず,自宅1棟の一部を焼損させてしまった。甲の自宅の隣には木造住宅があり,一歩間違えれば,隣家も焼損してしまうところであった。甲の罪責は。

 

110条の客体を限定しないとする説を前提に,上記の問題を考えみると,おかしなことが起きる(なお,公共の危険の認識については,判例に従い,不要説を前提とする。)。すなわち,まず,甲は,友達がおいていったタバコに火をつけているから,「前二条に規定する物以外の物を焼損」している。そして,甲はその後眠ってしまい,自宅を一部焼損させ,「よって,公共の危険を生じさせ」ている(相当因果関係についても,肯定することができるであろう。)。したがって,甲には,110条1項の建造物等以外放火罪が成立し,甲は,1年以上10年以下の懲役に処せられることになる。

 

さて,上記設例を見たとき,誰もが,「失火罪でしょ」と思うのではないだろうか(ちなみに,失火罪は50万円以下の罰金である。)。上記設例を,建造物等以外放火として処理することは,おかしくないだろうか。

 

だから,上記の論点が出てくるわけである。タバコを吸うために火をつけることによって,普通は公共の危険なんて発生しない。それにもかかわらず,結果として公共の危険が発生したとして,「放火罪」として扱うのは,おかしい。同様に,マッチとか,紙くずとか,薪とか,点火の媒介物やそれ自体を燃やすことに意味がないものは除こうとかいう議論が出てくるわけである。

 

結局,上記設例では,失火罪を問題とするのが自然であり,本条の客体にはおのずから一定の限界があると解するのが相当であろう。地裁レベルではあるが,110条の客体は「それ自体を焼損することに意味のある物をいい,マッチ棒やごく少量の紙片の如く,他の物体に対する点火の媒介物として用いられていて,それ自体を焼損することによっては,一般的定型的に公共の危険の発生が予想されないような物は含まないものと解するのが相当」だとしたものもある(東京地裁昭和40年8月31日判決)。

 

こんな感じで,論点が生じる場合には,必ず前提となる問題意識があるはずなので,論点に対する学説の対立を理解するに当たっては,どういう事例が想定されているのかを合わせて理解するのが良い。

不意を突いた行為による強制わいせつ罪の成否

Aは,通行中の女性Vに対して,Vの不意を突いて突然キスをして逃走した。

 

こんな場合,頭に浮かぶのは,強制わいせつ罪だろう。ところが,刑法上,強制わいせつ罪の条文は,以下のようになっている。

 

「13歳以上の者に対し,暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は,6月以上10年以下の懲役に処する」(刑法176条前段)

 

条文にある通り,強制わいせつは,「暴行又は脅迫を用いて」わいせつな行為をすることである。これを読むと,暴行又は脅迫を手段としてわいせつ行為をすることが,構成要件であるように見える。そうすると,突然キスをする行為は,本当に「暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした」という構成要件に該当するのだろうか,という素朴な疑問が出てくる。

 

そう思って調べてみたが,意外と不意にキスをしたことが問題となった判例が見当たらなかった(大コンメンタールに乗っている裁判例は,争点が異なったり,いずれも肩を抱いたりするなど,不意にキスをしたような事案ではなかった)。弁護士ドットコムには関連する質問があったが,金は払いたくない。自分で調べるしかない。

 

そこで検討するに,結局は,暴行行為が同時にわいせつ行為である場合に強制わいせつ罪が成立するかという問題であるので,キスという態様に限らないで調べてみたら,何と大正14年12月1日に出された大審院の判決にまでさかのぼらないとダメだった。最高裁ですらない(ちなみに大コンメンタール刑法第3版第9巻66頁には,大判大14・12・10集4巻743頁とあるが,日付が間違っている。)

 

その判決要旨は,「暴行によるわいせつ罪は暴行自体がわいせつ行為と認めらるる場合においても成立するものとする。」というもの。

 

大審院の認定事実は,被告人が,大正13年6月18日,某歯科医院治療室において某女(当時24歳)に依頼されその虫歯の治療のためプロノコカイン水約半筒を患部に注射し治療室に横にして安静にさせていた際,同女の意思に反して着衣の裾より右手を入れ,その陰部膣内に自己の右人差し指を挿入して暴行を加え,もってわいせつな行為をした,というものであった。

 

当時の弁護人は,私が抱いた上記の疑問と同じように,刑法176条は,暴行又は脅迫を手段としてわいせつ行為をすることを要するのは論を俟たないのに,上記の認定事実では,被告人がわいせつ行為をするに当たって暴行又は脅迫を加え,もって被害者の意思を抑圧してわいせつな行為をしたと認めることはできない,つまり,暴行行為を手段としてわいせつ行為をしたとはいえないから強制わいせつ罪は成立しないと主張した。

 

これに対して大審院は,刑法第176条の暴行とは被害者の身体に対し不法に有形力を加えることをいうと解するべきであり,女性の意思に反し陰部膣内に指を挿入するようなことは,暴行であることはもちろんである。そして,本件のわいせつ行為は,このような暴行行為によって行われたものであるから,暴行行為自体が同時にわいせつ行為と認められる場合であるとは言っても,同条にいう暴行をもってわいせつ行為をしたことに該当することは明らかであり,所論は理由がない,として弁護人の主張を退けた。

 

つまり,大審院は,強制わいせつ罪における暴行を狭く解釈する弁護人の主張を排斥したほか,暴行行為自体が同時にわいせつ行為と認められる場合であっても,強制わいせつ罪が成立するとしたわけである。

 

とはいえ,判例がそう言っているからそうだ,ということはすべきでない。その背景事情について考えてみようと思ったが,とある基本書に当たっても,これが通説で,しかも,不意の強制わいせつの場合には暴行の程度は問題にならないとサラリと書いてあった。

 

結局自分で考えるしかないのか。おそらく,「暴行…を用いて」という文言からは,暴行を手段とすることまで当然読み取ることができない,ということなのだろう。キスをする行為は暴行であり,かつ,わいせつな行為なのだから,素直に,暴行を用いてわいせつな行為をしたといってよいのではないだろうか。

 

さて,それでは,どこから「暴行…を用いて」という文言を,「暴行を手段として」という意味に解釈すべきだという主張がくるのだろうか。おそらく,それは,強姦(177条)や強盗(236条)の解釈に引きずられているということなのだろう。すなわち,これらの犯罪では,暴行又は脅迫が姦淫行為や財物奪取行為それ自体に該当することはありえず,暴行は結果達成のための手段としか用いられようがない。そして,強盗罪や強姦罪,特に強盗罪は,法律家がよく勉強する範囲であるから,無意識的に,暴行は手段として用いられなければならないという意識が生まれてしまったのではないだろうか。ところが,先に述べたとおり,強制わいせつ罪では,暴行自体がわいせつ行為という結果に該当することがあり得るのである。暴行又は脅迫を用いてという条文の文言を手段としてしか考えないという立場は,強姦罪や強盗罪と強制わいせつ罪の違いを無視して,条文を解釈している,ということになるのではないだろうか。

 

そんなこんなで,結局は判例の立場でいいのでは,と思う。不意にキスをしたら,手段としての暴行を用いていなくても,強制わいせつが成立する,と。

なんか刑事系の記事で,わいせつ系の記事を3つくらい書いていることになってしまっている。よくない傾向だ。今度は放火罪でも書こうか。