へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

強制わいせつ罪における性的意図の要否

最高裁平成29年11月29日大法廷判決は、強制わいせつ罪が成立するにあたり、性的意図が必要であるとする最高裁昭和45年1月29日判決を変更し、同罪の成立のためには性的意図は不要であるとした。

ただし、この判例を、「最高裁は、性的意図が必要であるとする解釈を放棄した判例である」と理解することは正確ではない。この点は、判決を読めば明らかである。

昭和45年判例は、被害者の裸の写真を撮って仕返しをしようとする意図のもと、被害者を脅迫し、裸の写真を撮ったという事例につき、強制わいせつ罪は、性欲を刺激興奮させ又は満足させるという性的意図のもとに行われることが必要であるとして、被告人を有罪とした原審を破棄したものである。

今回、大法廷が同判決が維持できないとした理由の骨子は、ごく簡単に言うと、性犯罪においては、被害者の受けた性的な被害の有無やその内容、程度に目を向けるべきであり、現在の社会の認識からすると、性的意図を強制わいせつ罪の要件(つまり、必要な要素)とすることは難しい、というもの。

ただし、大法廷判決は、それに加え、「わいせつ行為」という評価を与えるためには、具体的状況等をも考慮に入れる必要があり(わいせつ行為は、規範的要件である)、その具体的状況においては、性的意図を判断要素として考慮しうる場合もありうるとしている。

結局、この大法廷判決が言っているのは、「強制わいせつ罪において、性的意図は故意とは独立した必須の要件であるとは言えないよ。でも、何がわいせつかどうかは簡単には決まらないのだから、具体的な事情を考慮する必要があるのであって、事例によっては、行為者の意図まで考えてわいせつ行為の認定をする必要がある場合はありますよ。」ということである。

例えばの話、男性が、小学校1年生の女の子の上半身を脱がし、聴診器をあてている状況を考えてみよう。
① 男性は資格を有する医師で、健康診断を実施していた。
② 男性は資格を有する医師を語り、健康診断と称して、女児の裸を見ることに興奮を覚えていた。
外形的な事情は同じであっても、主観的な意図を含めて考えれば、①はわいせつとは言えないけど、②はわいせつであることは明らかであろう。昭和45年判決の意図としては、①のような場面を外したい意図があったのかもしれない。けれども、考え方の筋道としては、①の場面は行為者の主観面を問題とすることなく、わいせつな行為であると評価できない(客観的構成要件の不充足)としてしまう方が、素直な解釈であろう。こういうことを言うと、行為無価値だとか言われるのかな?よく分からんが。

そういう感じ。