へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

訴因変更の可否について自分が理解するところ

【設例】

検察官は,被告人を,「被告人は,平成29年1月1日,〇公園において,被害者が遺失したキャッシュカードを横領した。」との遺失物横領罪で起訴した。これに対して,弁護人は,被告人は,交番に届けるつもりで拾得したもので,横領行為がないと主張した。裁判官は,審理の結果,弁護人の主張を退けることはできないが,被告人は,平成29年1月2日に急に10万円が必要になり,届け出ていなかった被害品のキャッシュカードを使用し,×支店ATMにおいて10万円を引き出そうとしたものの,暗証番号が違ったため,引き出すことができなかった,との心証に達した。この場合,裁判官は,どのような手続を踏み、いかなる判決をすべきか。

 

【問題の所在】

裁判所は,検察官が設定した訴因については無罪の心証を抱いている。もっとも,裁判官は,被告人が,その2日後,そのキャッシュカードを使用した点は,遺失物横領罪を構成するとの心証を抱いている。この場合,そのまま1月2日の遺失物横領罪で有罪判決をすることができるか(訴因変更の要否)。できない場合,訴因変更をした上で後者の内容で有罪判決を下すことが可能か(訴因変更の可否)。

 

【訴因変更の要否】

検察官が設定した訴因と異なる事実を認定する場合,一般的に想定される手続としては,訴因変更がある。本件では,被害品の「横領」という構成要件に不可欠な事実(実行行為)につき,明示された訴因と認定事実とが別物になっているのであるから,いかなる立場からしても訴因変更が必要である。したがって,裁判官は,訴因変更の手続を経なければ,有罪判決を言い渡すことができない。この記事のメインテーマではないので,詳しくは省略する。

 

【訴因変更の可否】 

本題だが,この事件で訴因変更は可能であろうか。訴因の変更は,「公訴事実の同一性」の範囲でのみ許されるとされるから(刑訴法312条),この「公訴事実の同一性」をどう判断するかが,ここでの問題である。

 

学生の頃の自分だったら,「公訴事実の同一性は,公訴事実の単一性と公訴事実の狭義の同一性の2つに分けられ,前者は刑法上の罪数を基準に,後者は基本的事実関係の同一性を基準に判断する。基本的事実関係が同一かどうかについては,両訴因が非両立かを考慮する。」なんて論証をしていた。ぶっちゃけ,学生時代は,なんで単一とか同一であれば訴因変更が許されるのか、そもそも非両立基準とは何かについて,その内実を今一つ理解していなかった。そのため,どのように当てはめをして良いのかわからず、あてはめで苦労した。

 

しかし,この問題は,難しい言葉を暗記するのではなく,その内実をキチンと理解するところから始めなければならないし,内実をきちんと理解すれば,あてはめで苦労することもない。

 

さて、公訴事実の同一性の判断基準を考えるに当たっては,それが有する機能に着目してアプローチすることが有用である(という学説に私は賛同している。)。すなわち,公訴事実の同一性が認められる場合,一事不再理の効果が生じるとともに,二重起訴禁止の効果が生じるとされるのであるから,公訴事実の同一性は,二重処罰の危険を生じさせる範囲を画する機能を持つ,言い換えれば,1個の刑罰権を発動させるべき範囲を画する機能を持つ。

 

このような理解を前提とすれば,公訴事実の同一性がある場合とは,1個の刑罰権を発動させるべき場合,言い換えれば,二重処罰の危険性が存在する場合に認められる,ということになる。

 

訴因変更の場面に引き直して平たく言うと,変更前の訴因と変更後の訴因で両方有罪の判決をした場合,刑罰権を二重に行使してしまうことになる関係が認められれば,公訴事実の同一性があり,訴因変更が許される,ということになる。誤解をおそれず素人的な言い回しを使うと,二つの訴因について両方別々に有罪判決を出した場合,被告人として,「なんでやねん!」と言えるような場合には,公訴事実の同一性があるということになるわけである。もっと思い切ったことを言うと、公訴事実の同一性を判断したいときには、とりあえず(被告人には申し訳ないが)変更前後の両訴因につき有罪になってもらってもらうのである。その後、被告人(または弁護人)の立場になって、「おかしいやんけ!」と言いたくなるかを検討するのである。

 

では,どのような場合に1個の刑罰権を行使すべき場合に,それを二重に行使することになるだろうか(言いかえれば、どのようなときに被告人から鋭いツッコミがくるであろうか。)。

 

典型的なのは,従来から公訴事実の単一性と呼ばれる類型である。すなわち,罪数上一罪の関係にある犯罪については,1個の刑罰権の行使しか認められないので,別々に有罪判決を下した場合、明らかに二重処罰となる。例えば,牽連犯の関係にある住居侵入と窃盗をそれぞれ別々に有罪にした場合,被告人としては「なんで科刑上一罪のところを別々に処罰されないかんねん!牽連犯にした方がより軽い処罰が望めるのに,おかしい!」と言いたくなる(はず)である。したがって、当初住居侵入のみを起訴していた場合に、その住居侵入と牽連犯の関係にある窃盗罪に訴因変更することは可能である。

 

もう一つ典型的なのは,両方の訴因が実体法上両立しないものである。例えば、物を盗み、それをその後に壊したという場合,実体法上は,窃盗罪と器物損壊罪は同時に成立しないとされる。この場合,刑法上の理解だと,両方を有罪にすることはできないのに,窃盗罪と器物損壊罪の両方を別々に有罪認定した場合,「実体法上は両立しないのに,なんで両方有罪になるねん。刑法総論を学び直してこい!」という正当な批判が被告人から来るであろう。

 

さらには,ここから難しくなってくるが「事実上」両方の訴因が成り立たない結果,「いやいや,両方処罰するのはおかしい」という場合がある。例えば,「被告人は,公務員Aと共謀して,平成20年1月1日,公務員Aの職務に関し,Bから賄賂を受け取った」という収賄の訴因と,「被告人は,Bと共謀して,平成20年1月1日,公務員Aの職務に関し,公務員Aに賄賂を贈った」という訴因について,(被告人には悪いが)被告人を二重に有罪にしてみよう。この場合,結局,AがBから賄賂をもらったという点について両方の訴因は共通しており,それに被告人がどのように関与したのか(A側に加担して賄賂を受け取ったのか,B側に加担して賄賂を贈ったのか)が違うだけである。それなのに,両方別々に有罪にされてしまうと,被告人としては,「え?・・・え??・・・なんで!?」という心境に至ることは間違いがないであろう。両方同時に有罪にすることはおかしいのである。上記の窃盗と器物損壊と違うのは,可能性としては,一応,上記収賄と贈賄の事実は,実体法上は両立するという点である。ここでは,現実問題として,上記収賄と贈賄の事実が両方同時に存在することはあり得ないにすぎないのである。これが訴因が「事実上」両立しない場合ということになる。

 

少し難しくなるが,「事実上」訴因が両立しない例として,他にも,例えば,「被告人は,1月1日に北海道でAを殺害した」という訴因と,「被告人は,7月1日に沖縄でAを殺害した」という訴因がある。Aが死亡するという事態は1度しか生じないから,両方の事実は両立せず,両方有罪にすることは許されない。中にはこの両訴因につき、時間と場所が大きく違うから、基本的事実関係に同一性はないと当てはめてしまう人がいるかもしれないが、誤りである。繰り返すが,両方の訴因について被告人を有罪にしてみてほしい。被告人は,「え,裁判所は,私がAを2度殺したと認定したということ?Aが蘇ったとでも考えているんですか?おかしいでしょ。」というに決まっている。

 

ここからがやや分かりにくいところで,両方の訴因が事実上非両立がどうかをどのようにして判断すればいいのだろうか。例えば,上記の収賄と贈賄の件だと,ひょっとしたら,被告人は,公務員Aの職務に関連して収賄をし,同じ日に,さらに,公務員Aの職務に関して贈賄をした可能性だってある。そういう事情があるかどうかは,訴因を比較しても出てこないじゃないか,と思う人もいるのではなかろうか。また,訴因の背景にある社会的事実を想定すれば考えやすいが,それは訴因対象説とは整合しないから駄目だし,という悩みを持つ人もいるかもしれない。さらには,論文とかに,「検察官の訴追意思」を考慮するとか書いてあるけど,訴因同士をどう頑張って比較してみても、検察官の訴追意思なんてわからないだろう、というように思う人もいるのではないだろうか。

 

ここで見落としてならないのは,「訴因変更が問題になる時点では,裁判所は証拠調べをそれなりに終えているし,それまでの訴訟経過も把握している」ことであろう。訴訟指揮をしてきて,手元に関係証拠がありさえすれば,訴因変更の請求がきた場合,変更前の訴因と変更後の訴因を比べて,それが両立するかどうかを判断することは,別に難しくない,というわけである。例えば、上記の収賄と贈賄の例でいうと、公務員Aに対するBからのお金の流れが問題となっていることは,証拠上明らかなので,「検察官の訴追意思」に照らすと,変更前の訴因と変更後の訴因は,同一の事象に関するものであり,変更前後の訴因を両方有罪にした場合,公務員Aに対するBからのお金の流れを法的に二重に評価して処罰することになってしまうから,変更前後の訴因は両立しない(あるいはさせてはいけない)ことが,裁判所の目には明らかなのである。他にも、覚せい剤の自己使用とかだと、提出された尿鑑定につながる一つの使用行為が問題とされていることは明らかであるから、使用日時場所がそれなりにずれようが、それを別々に処罰してしまうと二重処罰になることは明らかであるから、これも事実上両立しない訴因なのである(したがって、使用日時場所が異なる訴因への変更は、当然認められる。)。結局、証拠をみれば、変更前後の訴因は事実上両立しないことが,裁判所の目には明らかなのである(これを捉えて、裁判例などでは基本的事実関係が同一である、と言われるのである。初学者が陥りがちなミスとして、基本的事実関係を判断するには、事実関係がどの程度「似ているか」を一生懸命言おうとするというものがあるが、正確でない。検討すべきは、変更前の訴因と変更後の訴因を両方有罪にした場合、二重処罰の関係になってしまうような事実関係の共通性があるかをチェックすべきなのである。)。こういうことを言うと,「証拠調べが終わっていない段階で訴因変更が来たらどうするか」という質問が来そうだが,簡単なことで,判断資料がそろうまで,訴因変更の決定を留保すれば足りるわけである(公訴事実の同一性がある場合には訴因変更は許さなければならないが,公訴事実の同一性があるか判断できない場合に,判断を留保することは正当な訴訟指揮である。)。あるいは、目の前にいる検察官に対して,釈明してその意図を確認することだってできる。

 

そんな感じで,「事実上」両訴因が同時に存在しない場合にも,これを両方とも有罪にしたら,被告人はたまったものではないので,刑罰権を1回行使すべき場面であり,公訴事実の同一性があり,したがって,訴因変更は許される,ということになる。

 

ただし,この「事実上」両訴因が非両立かという点については,さらに学生を混乱させる例がある。この点については,さしあたり立ち入らず,基礎を固めることを優先した方が身のためだとは思うが,念のため【蛇足】の部分で触れる。

 

そんなこんなで,1個の刑罰権を行使すべき場合はどんな場面があるかを見てきたけど,これが,昔から論証とかで述べられている「公訴事実の単一性と,公訴事実の狭義の同一性」と一致しているわけである。こうしてみると,わざわざ単一性とか狭義の同一性とか言うまでもなく,変更前の訴因と変更後の訴因が刑罰権の行使という観点から両立しないかどうか,という観点から見ていけばいいということになる(と私は思っている。)。まぁ,つまり,訴因変更の可否は,いわゆる「非両立性基準」で判断すべきだ,と思うわけである。

 

このような理解を前提とすれば,訴因変更の可否のあてはめは,変更前の訴因と変更後の訴因を比べて,その両方を処罰したらおかしい(=法律上又は事実上非両立)ということを言えばよいということがわかり,あてはめの対象もすっきりするはずである。

 

以上の理解を前提に,訴因変更の可否についてのあてはめをすると,次のような感じだろうか。

「変更後の訴因は,変更前の訴因と被害品が同一である。そして,変更後の訴因は,変更前の訴因のわずか1日後の横領行為に関するものである。このような被害品の同一性と日時の近接性に照らせば,変更後の訴因は,変更前の訴因が有罪になった場合,不可罰的事後行為として犯罪が成立しない関係にあるというべきである。したがって,変更前の訴因と変更後の訴因は,実体法上両立せず,基本的事実関係は同一であるから,公訴事実の同一性が認められる。」

(以上は,訴因を比較するということを徹底したものである。もう少し柔軟に考えたいという人は,「変更前後の訴因は,被告人が,キャッシュカードの占有を開始し,それを用いてお金をおろそうとしたという一連の事象に関して,当初の占有取得行為を横領とみるか,その後お金を引き出そうとした行為を横領とみるかという問題にすぎず,変更前の訴因が成り立てば,変更後の訴因は不可罰的事後行為として犯罪が成立しない関係にある。したがって・・・」というあてはめもあり得るであろう。この辺りは,スタンスの問題である。個人的には,後者の考えに親和性を覚える。)。

 

「基本的事実関係の同一性」というキーワードを入れる必要は必ずしもないとは思うが,そこはまぁ,判例に書いてあるということで。さらっと書いてあるが,以上の記載には,これまで述べてきたようないろいろな理解があるわけである。文字面を暗記するだけの勉強方法がいかに危険か分かっていただけるのではなかろうか。

 

【まとめ】

以上の次第で,設例に対する答えをざっくりまとめると,「裁判所は,訴因変更をすることなしには有罪判決を書けないので,訴因変更が必要である。訴因変更が可能かが問題となるが,訴因と裁判所の認定しようとする事実は両立せず,したがって,基本的事実関係が同一といえ,公訴事実の同一性がある。よって,裁判官は,検察官に訴因変更を促したうえで,心証に従った判決をすべきである。」,こんな感じかな。あとはこれにいろいろと肉付けしていけば,答案の完成である。

 

【蛇足】

事実上の両立性という点について,学生を混乱させる有名な例がある。すなわち,当初過失運転致傷を自白していた被告人が,後で身代わり運転であり過失運転致傷については無罪だと言い始めた場合に,自動車運転過失致傷と犯人隠避との間に公訴事実の同一性があるか,という例である。同一性がある場合,訴因変更で対応すべきであるし,そうでない場合には,過失運転致傷について無罪判決を出したうえ,犯人隠避で公訴提起をさせるということになる。

 

この点については,過失運転致傷の事実と身代わり運転の事実は論理的に「非両立」であることは間違いがないのに,訴因変更によるべきではないという説明がされる。これが学生を混乱させる1つの種であろう。

 

繰り返すが,個人的には初学者は立ち入べきではないと思う。混乱するので。おそらく実務的には,追起訴+公訴の取消し(刑訴法257条)いう手続になるのではなかろうか(検察官的には,できるだけ訴因の交換的変更とか,訴因の予備的追加で済ませたいと考えるとは思うが,裁判所が認めるかどうかは不明である。)。

 

それはさておき,なぜ上記の場合は訴因変更によるべきではないとされるのだろうか。混乱させるような言い回しを言うが,あくまで非両立性基準は,「法的な非両立性」ということであり,「事実関係の論理的非両立性」とは異なるということである。これまで上げた例は,すべて変更前後の訴因を両方有罪にした場合には,二重処罰になってしまうというものだった(このブログでも,ずっと,両方の訴因を有罪にした場合には二重処罰になるのはおかしいといえるかを基準にすべきだと言ってきたところである。)。つまり,両方を有罪にすると,二重処罰になるかという「法的な非両立性」を問題にしてきているのである。他方,上記の過失運転致傷と身代わり運転の例でいうと,同じ日時,同じ場所において,同じ車をAとBが別々に運転することは論理的にはあり得ないが,事実認定の誤りによって両方事実認定がされさえすれば,一つの行為や結果を二重評価していることにはならず、法的には両立してしまうのである。両方を有罪にしても,「二重処罰」にはなっていないことが,分かるだろうか。こうした違いがあるため,上記の場合では,公訴事実の同一性がなく,訴因変更によるべきではない,とされるのである。過失運転致傷と犯人隠避は,論理的には非両立だが,法的には非両立ではない,というわけである。この微妙な違い,分かるかなぁ。分からなかったら,この問題については忘れた方がいいと思う。限界事例で悩み,基礎をおろそかにするのは,相当ではない。

 

あー...疲れた。