へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

訴因変更の可否について自分が理解するところ

訴因変更の可否って難しいですよね。正直学生の頃は全然理解していませんでした。そこで,復習の意味も込め,実務の経験を踏まえて自分なりに整理してみました。異様に長いですが,訴因変更の可否が分からないという方に少しでも参考になればと思います。ただし、記事の内容は私見ですので、疑問があればご自分で調べてください(突然の責任転嫁)。

質問,批判等のコメントいただけたら,気が向いたときに返事します。

【設例】
検察官は,被告人を,「被告人は,平成29年1月1日,〇公園において,暴行を加え,被害者から10万円を喝取した。」との恐喝罪で起訴した。これに対して,被告人は,捜査期間中は黙秘を続け,第1回公判手続において,当日はアリバイがあり,自分は犯人ではないと主張した。検察官は,この被告人の主張を受けて被害者に確認したところ,被害者は,被告人にお金を脅し取られたのは,平成29年1月8日のことで,しかも,暴行を加えられ他に,ナイフまで示されて金を出すように言われたと供述し始め,しかも,補充捜査の結果,この事実が裏付けられた。そこで,検察官は,「被告人は,平成29年1月8日,○公園において,暴行を加えるとともにナイフで脅迫して被害者の反抗を抑圧し,被害者から10万円を強取した」との訴因に変更する旨請求し,裁判所からの訴因変更請求の理由の釈明について,上記の捜査経過を説明した。弁護人は,これに対して,公訴事実の同一性がないとして,訴因変更を許可することは違法であるとの意見を述べている。裁判所は,訴因変更を許可すべきか。

【問題の所在】
刑事訴訟法312条1項は,公訴事実の同一性を害しない限度で,訴因変更を許さなければならないと規定する。上記の検察官の訴因変更を許可できるかは,変更後の訴因が,変更前の訴因と公訴事実の同一性の範囲内に含まれるか否かによる。そこで,この「公訴事実の同一性」をどう判断すればよいかが,ここでの問題である。

(なお,訴因変更の要否は,「裁判所が,公訴事実と別の罪となるべき事実を認定したい」という場合に,訴因変更の手続きをとることが必要かという論点であり,検察官が訴因変更を請求してきた場合には,これを論じる必要はないので注意が必要である。)

公訴事実の同一性の判断について,学生の頃の自分は,「公訴事実の同一性は,公訴事実の単一性と公訴事実の狭義の同一性の2つに分けられ,前者は刑法上の罪数を基準に,後者は基本的事実関係の同一性を基準に判断する。基本的事実関係が同一かどうかについては,両訴因が非両立かを考慮する。」なんて論証をしていた。正直な話,なんで単一とか同一であれば訴因変更が許されるのか、そもそも非両立基準とは何かについて,その内実を今一つ理解していなかった。そのため,どのように当てはめをして良いのかわからず、司法試験では訴因変更の可否が出ないことを祈って受験会場に臨んだ(幸い出なかった)。

しかし,この問題は,難しい言葉を暗記するのではなく,その内実をキチンと理解するところから始めなければならないし,内実をきちんと理解すれば,あてはめで苦労することもないはずである。

なお,結論を先取りして言うと,訴因変更の可否は,「変更前後の訴因が一つの刑罰権の範囲に入っているかどうか」によって判断され,その際の判断指標として,「変更前後の訴因が刑罰権の行使として両立するか」が有用であるというのが私の理解するところである。この結論を意識して,本文を読み進めてほしい。

【公訴事実の同一性の判断基準】
公訴事実の同一性は,訴因変更の可否の基準となるものであるから,公訴事実の同一性の範囲内で訴因変更を認めた法の趣旨は何なのか,という点から考えてみよう。

一つの考え方として,訴因変更の制度は,訴訟経済と被告人の応訴の負担を調和させたものだと考えることができるかもしれない。すなわち,刑事訴訟においては,検察官が設定した当初訴因に基づいて審理が進められるが,当然,審理の経過によっては,当初設定された訴因とは別の犯罪の成立が疑われることがある。この場合に,訴因変更を一切許さなかった場合,当初訴因について無罪判決をした後,改めて,新たに設定された訴因について一から証拠調べを実施しなければならなくなる(書証ならまだ良いが,例えば,被害者を証人として再び法廷に呼び,同じことを証言させるというのは,不必要な負担をかけることとなる。)。訴因変更を認めなかった場合,当事者や関係者に対する負担が重く,手続も煩瑣であり,訴訟経済に反する。もっとも,訴因変更を無制限に認めては,一つの訴訟手続を利用して訴因変更が繰り返され,被告人は終わりの見えない訴訟手続に付き合わされるおそれがあるし,一度取り調べられた証拠が一体どんな犯罪の立証のために流用されるかも分からない。そのため,訴因変更には一定の限界を設ける必要がある。そこで,訴因変更は「公訴事実の同一性」の範囲内に限られている。

こうした理解は,決して間違ってはいないように思える。もっとも,上記のアプローチからは公訴事実の同一性の意義を見出そうとしても,明確な基準を見出すことは難しいであろう(被告人の防御を害しない程度、あるいは、被告人の防御にとって予測可能な範囲内、といったふわっとした考え方になると思われる。なお、基本書には、このアプローチから記載されているものもあると思うので(少し古いものは特に)、注意する必要がある。)。

むしろ,個人的には,「公訴事実の同一性」の意義を検討する上では,公訴事実の同一性の範囲内で訴因変更を認めているのは,刑罰権は一つの有罪判決によって行使すべしという刑事訴訟法の理念を訴訟係属中においても実現するため,という考え方の方が優れていると思う。

すなわち,刑事訴訟法は,「公訴の提起があった事件について,更に同一裁判所に公訴が提起されたとき」には,判決で公訴を棄却することとし(338条3号),また,「確定判決を経たとき」には,判決で免訴の言い渡しをすることとしている(337条1項)。こうした二重起訴の禁止や一事不再理効の規定は,「同一の犯罪について,重ねて刑事上の責任を問はれない」とする憲法39条の規定を担保するものとして理解することができる。このように,刑事訴訟法は,一つの刑罰権は一つの有罪判決によって行使されることを目指している。

ところで,実際の訴訟では,【設例】でも示したとおり,訴訟経過や証拠関係に照らして,設定された当初訴因を変更する必要が生じる場合はあり,また,その変更の度合いは様々である。この際に変更の程度が一つの刑罰権の範囲内のものであれば,当然,別訴を提起させるべきではなく,訴因変更手続きをとることによって同一訴訟手続で処理すべきであろう(別訴を提起したとしても,公訴棄却の判決が出ることが予想されるが,そもそもそういった訴訟を併存させることが二重処罰の危険性を生じさせている。)。他方,変更の程度が著しく,一つの刑罰権の範囲に入らない場合については,別訴によらなければならないとする方が,手続的に安定するし,合理的であるといえよう。

つまり,一つの刑罰権の範囲内→訴因変更,一つの刑罰権の範囲外→別訴提起という整理を刑事訴訟法は予定していると考えるわけである。こうすることによって,一つの刑罰権の行使に当たって,2つ以上の訴訟が併存することを防止し,もって,二重処罰の危険が生じることを回避することができる。

これを,「公訴事実の同一性の範囲内で訴因変更が許される」という制度に当てはめて言い換えると,「刑事訴訟法は,公訴事実の同一性を欠く場合には,別訴を提起させ,公訴事実の同一性がある場合には,訴因変更を用いて同一訴訟内で処理すべきとすることによって,一つの刑罰権の行使に当たって,2つ以上の訴訟が併存することを防止し,もって,二重処罰の危険が生じることを回避することをその趣旨・目的としている」,ということができる。こうした趣旨からすれば,結局,「公訴事実の同一性」とは,「一つの刑罰権の範囲内にあるか」を基準として判断すればよい,ということになろう。このアプローチの方が,基準として比較的明確であり,個人的には思考整理もしやすくて優れていると思っている(し,言葉としてもスッと入ってくる気がする。)。

ただ,どのような場面が1回の刑罰権の行使によって処理すべき事件の範囲内にあるか,ということは,なかなか説明がしにくい。そこで,視点を変えてみよう。「1回の刑罰権の行使によるべき」とは,すなわち「2回(以上)の刑罰権の行使によるべきではない」ことを意味する。訴因変更の場面に引き直して言い換えると,「旧訴因と新訴因について両方有罪にした場合,刑罰権を二重に行使する」関係にあると言えれば,「旧訴因と新訴因は1回の刑罰権の行使によって処理すべき事件の範囲内にある」といえる。

それでは,どういった場合が「刑罰権を二重行使する関係がある」といえるのであろうか。個人的にイメージしやすいと思う方法は,次のように仮定してみる方法である。

  • (被告人には申し訳ないが)変更前後の両訴因につきとりあえず有罪になってもらう。
  • その後、被告人又は弁護人の立場になってみて,「いやいやおかしい,二重処罰だ」と言いたくなるかを検討する。

被告人又は弁護人の立場になって,二重処罰の実質があることをきちんと説明できるような事例であれば,刑罰権を二重行使する関係があるといえ,翻って,旧訴因と新訴因は1回の刑罰権の行使によって処理すべき事件の範囲内にある(公訴事実の同一性がある)ということができる,というわけである。

【公訴事実の同一性がある場合の例その1その2】
では,新旧両訴因を有罪にした場合,刑罰権を二重に行使する関係にあるかは,具体的にどのような場合なのであろうか(言いかえれば、どのようなときに被告人側から不満が出るであろうか。)。

典型的なのは,従来から公訴事実の単一性と呼ばれてきた類型である。すなわち,罪数上一罪の関係にある犯罪については,1個の刑罰権の行使しか認められないので,別々に有罪判決を下した場合、明らかに二重処罰となる。例えば,牽連犯の関係にある住居侵入と窃盗をそれぞれ別々に有罪にした場合,被告人としては「なんで科刑上一罪のところを別々に処罰されないかんねん!一罪を分割して処罰するのは二重処罰に当たる典型例だろう!裁判官は罪数論も知らんのか」と言いたくなる(はず)である。したがって、当初住居侵入のみを起訴していた場合に、その住居侵入と牽連犯の関係にある窃盗罪に訴因変更することは可能である(他の例としては、観念的競合の場合かな。あんま考えにくいけど、公務執行妨害→傷害とか。)。

もう一つ典型的なのは,両方の訴因が実体法上の理解から両立しないものである。例えば、物を盗み、それをその後に壊したという場合,実体法上は,窃盗罪と器物損壊罪は同時に成立しないとされる(不可罰的事後行為)。この場合,刑法上の理解だと,両方を有罪にすることはできないのに,窃盗罪と器物損壊罪の両方を別々に有罪認定した場合,「実体法上は両立しないのに,なんで両方有罪になるねん。刑法の教科書を読みなおしてこい!」という正当な批判が被告人から来るであろう。

ここまでは、当てはめは比較的簡単である。なぜならば、「科刑上一罪」とか「不可罰的事後行為」といったキーワードを挟むことによって、両方の訴因が両立しないことを簡単に説明することができるからである。これら科刑上一罪の場合や,不可罰的事後行為の場合は,それぞれの訴因は事実としては両立するが(住居侵入行為と窃盗行為は事実としては両立するし,窃盗行為とその後の器物損壊行為も,事実としては両立する),法的には両方成立しえない場合と整理することができる。

【公訴事実の同一性がある場合の例その3】
他方,当てはめが難しいのが,それぞれの訴因は,ぱっと見ると併合罪(=一罪ではない)の関係であるように見えるのに,実際には前提となる事実関係が両立せず,結果,法的に両方成立しえない場合である(便宜的に「第3の類型」と呼ばせてもらう。)。例えば,令和元年の新司法試験の論文問題がこれに当たる。事案をデフォルメして記載すると,次のようなものである。
***
検察官は,次のような公訴事実で被告人を起訴した。
「被告人は,平成30年11月20日,X社の顧客Aから売掛金として集金した現金3万円をX社のため業務上預かった。しかし,被告人は,同日,A方付近において,その3万円を,自らの借金返済のために着服して横領した。」
しかし,その後,公判において,検察官は,被告人は当時集金権限を有していないことが発覚したとして,次のような訴因へと変更することを請求してきた。
「被告人は,平成30年11月20日,X社の顧客であるA方において,Aに対して,本当はX社の売掛金を集金する権限がないのに,「集金に来ました,合計で3万円です。」とうそを言い,Aから3万円をだまし取った。」
裁判所は,この訴因変更を許可すべきか。
***
この事例は,公訴事実の同一性があり,訴因変更が可能だというのが,正答である。そうであれば,両方を有罪にした場合,二重処罰になるはずである。ところが,この事例では,変更前の訴因はX社を被害者とする業務上横領罪で,変更後の訴因はAを被害者とする詐欺罪であるので,ぱっと見,併合罪のように見える。

そうであれば,両者は二罪の関係にあるとして,両方の犯罪を別々に成立させて良いのだろうか。しかし,実際問題として,(被告人には悪いが)被告人を変更前後の訴因で有罪にしてみよう。被告人としては,「は?なんの話してんの?3万円を懐に入れたのは認めるけど,合計6万円分の犯罪が成立するの?日本の司法っておかしくね?」という心境に至るのではなかろうか。つまり,上記の事例における変更前後の訴因は,被告人がAから3万円を受領し,それを自己のものとして領得したという流れについて両方の訴因は共通しており,それをどのような犯罪として構成するか(受領権限があり横領とするのか,受領権限がなく詐欺とするのか)が違うだけなのに,これを別々に有罪にすると,被告人としては,意味が分からないということになるというわけである。

このように,この事案では,実は,前後の訴因は両立しないし,させてはならないのである。さて,これをどうやって説明すればよいのか,というのが最大の悩みどころではないだろうか(新司法試験でも,この説明が問われたわけである。)。

まず,「両方の訴因に記載された事実の記載を単純に比較することで、基本的事実関係が同一性かを検討する」という考え方は、間違っている。
上記の考え方で実際に当てはめをしてみてほしい。新旧訴因はところどころ違っており,同じなのは,訴追されているのが被告人であること,犯行の日付,被害金額が3万円であることくらいである。行為は,「A方付近で会社のために保管していた3万円を横領したこと」と,「A方でAから3万円を詐取したこと」で,全然違うし,被害者も,旧訴因は会社であり,新訴因はAである。犯罪行為も被害法益も全然違うのに,訴因の文言だけから基本的事実関係が同一だというのは,説得力がない。このように,公訴事実の記載のみを並べ立てて説明しようとする試みは,成功しないであろう(ダメ押しでいうと,もし訴因の字面の比較だけでよいなら,試験問題は、訴因を2つ並べて、訴因変更が認められるかを問えばよいはずである。試験問題にわざわざ関連する事情が書かれているということは,公訴事実の字面以外の事情も考慮することを当然の前提としている,というのが出題者の意図であろう。まぁ,ひょっとしたらうまく説明できる人もいるのかもしれんが…)。

では,どうすればよいか。ポイントは,既に述べたところからも示唆されているとおり,変更前後の訴因に,刑罰権を二重行使する関係があるといえるか,である。そして,その手掛かりは,さっきの被告人の叫び声である。つまり,変更前後の訴因が,同一の事実関係を前提としており,一方の犯罪が成立すれば,もう一方の犯罪は成立しないはずだ(業務上横領が成立すれば詐欺は成立しないし,逆もまた然り,のはずだ。),つまり変更前後の訴因は「非両立」の関係にあるはずだ,という点である。

このように説明すると,「変更前後の訴因が同一の事実関係を前提にしているとか,AがBから受領した3万円と,Aが着服した3万円が同一だとかいうけど,それをどうやって説明すればいいの?最悪,Aが着服した3万円は,Bから受領した3万円とは別の3万円という可能性だって,訴因の記載自体からは完全には否定されないよね。背景となる社会的事実を考えることができればいいかもしれないけど,それは訴因対象説と整合しないって言われるじゃん。」という疑問を持たれる方もいるのではなかろうか。

ここで重要なのは,訴因の設定権限は検察官が持っているという点である。そして,「訴因」というのは,公訴事実に記載された事実関係ではあるものの,その文字面だけで特定されるものでははなく,「検察官が一体どのような事実関係で公訴事実の訴追を求めているか」という点も含めて考慮されなければならないという点である。言い換えれば,変更前後の訴因の基本的な事実関係が同一かは,「検察官の訴追意思」を踏まえて公訴事実を考えないと,出てくるはずがないのである。例えば,検察官による釈明の内容は,公訴事実に記載されていなかったとしても,訴因変更の許否を判断する上で考慮するが,それは,検察官の訴追意思を踏まえて訴因を検討できることの裏返しである。検察官による釈明を踏まえて,いわば公訴事実に色を付けて理解するとでもいえようか。

このように説明すると,「検察官の訴追意思っていうけど,エスパーかいな。どうやって検察官の意思を認定するねん」,と思われる人もいるかもしれない。ここで見落としてはならないのは,検察官は一定の証拠関係を踏まえて訴因を設定していることと,検察官が訴因変更を請求するということは,何かしらの事情の変化があったはずである,という点である。例えば、令和元年の新司法試験の問題だと,被告人がAから会社のための集金として受け取った3万円が問題になってきている中で、関係者が口をそろえて「やっぱり被告人には集金権限がなかったよ。」と言いはじめたわけである。その後,検察官が訴因変更をしてきたわけであるが,さて,検察官はどういった意図で変更後の訴因を設定したをしたのだろうか。答えは明らかで,検察官は,被告人の集金権限の変化に対応して,一連の金銭の流れの法的構成を,業務上横領から,詐欺罪に変える趣旨で訴因変更をしたものである。

このように,裁判所は,「訴因変更が問題になる時点では,裁判所は証拠調べの結果を含め訴訟経過を把握している」わけで,訴訟指揮をしてきた裁判所は,それまでの訴訟経過を踏まえれば,変更前の訴因と変更後の訴因を比べて,それが非両立の関係にあるかどうかを,比較的容易に判断することができるわけである(訴訟経過を一種の間接事実として,検察官の訴追意思を認定している,ということもできる。)。

※補足※ なお,非両立の基準において,何を基礎として考えることができるかについては,考え方の対立がある。以上の私の説明は,ひょっとしたら訴因に記載された事実を比較すべきだという立場からは,相容れない説明をしているかもしれない。ただ,個人的な感覚としては,なんというか,公訴事実に記載された事実というのは,いわば民事訴訟における「訴訟物」であり,その訴訟物を特定する事実に関する主張を踏まえないと,その訴訟物が一体どのような訴訟物に基づいたものなのかを特定することができないのと同じように,公訴事実を基礎づける具体的な事実関係に関する検察官の主張を踏まえないと,その公訴事実が一体どのような刑罰権の範囲にとどまるかは理解できないのではないか,と感じている。そのため,公訴事実の記載に止まらず,その背景事実に関する検察官の主張も踏まえて訴因変更の可否は考えるべきだと思っている。

以上の次第で,上述の司法試験の問題でいえば,「検察官の訴追意思」を踏まえて考えれば,変更前の訴因と変更後の訴因は,同一の事象に関するものであり,変更前後の訴因を両方有罪にした場合,Aから被告人に対する1回のお金の流れを法的に二重に評価して処罰することになってしまうことは,裁判所の目には明らかなのである。

他の例を挙げると、覚せい剤の自己使用とかだと、提出された尿鑑定につながる一つの使用行為が問題とされていることは明らかであるから、使用日時場所がある程度ずれようが、それを別々に処罰してしまうと1回の覚せい剤使用行為を二重に評価して処罰してしまうことになることは明らかで、これも事実的にも法的にも両立しない訴因なのである(したがって、使用日時場所が異なる訴因への変更は、当然認められる。)。

なお,「検察官の訴追意思」は,証拠調べの経過を見ればわかる,なんてことを言うと,「証拠調べが終わっていない段階で訴因変更が来たらどうするか」という質問が来そうだが(実際、公判前整理手続の段階で訴因変更が来ることもある。),簡単なことで,目の前にいる検察官に対して,釈明してその意図を確認してもよいし,あるいは,より慎重に,判断資料がそろうまで,訴因変更の決定を留保してもよいだろう(公訴事実の同一性がある場合には訴因変更は許さなければならないが,公訴事実の同一性があるか判断できない場合に,判断を留保することはありうる訴訟指揮であろう。まぁ、実際問題公判前整理手続で判断を留保してしまうと、主張と争点の整理をするという公判前整理手続の目的が達成できなくなるから、実際上は公判前整理手続の段階で判断するべきとは思う。)。

【小括】
そんな感じで,上記のようないわば「第3の類型」としての両訴因が両立しない場合にも,これを両方とも有罪にしたら,被告人はたまったものではないので,刑罰権を1回行使すべき場面であるといえ,公訴事実の同一性があり,したがって,訴因変更は許される,ということになる。

ただし,このいわば「第3の類型」によく似たものとして、さらに学生を混乱させる例がある。この点については,さしあたり立ち入らず,基礎を固めることを優先した方が身のためだとは思うが,念のため【蛇足】の部分で触れる。

以上の次第で,1個の刑罰権を行使すべき場合はどんな場面があるかを長々と見てきたわけだが,これが,昔から論証とかで述べられている「公訴事実の単一性と,公訴事実の狭義の同一性」と一致しているわけである。こうしてみると,わざわざ単一性とか狭義の同一性とか言うまでもなく,変更前の訴因と変更後の訴因が「刑罰権の行使という観点から」両立しないかどうか,という観点から見ていけばいいということになる(と私は思っている。)。まぁ,つまり,訴因変更の可否は,いわゆる「非両立性基準」で判断すべきだ,と思うわけである。

このような理解を前提とすれば,訴因変更の可否のあてはめは,変更前の訴因と変更後の訴因を比べて,その両方を処罰したら二重処罰になってしまうためおかしいということを言えばよいということがわかり,あてはめの対象もすっきりするはずである。

【設例に対するあてはめ】
以上の理解を前提に,設例について訴因変更の可否についてのあてはめをすると,次のような感じだろうか。

「変更後の訴因は,変更前の訴因の1週間後の出来事であり,かつ,行為態様も,ナイフを用いた強盗行為となっている点が異なっており、一見すると併合罪の関係にある別々の事件であるようにも思われる。しかし,変更後の訴因は、変更前の訴因と被害者及び被害額が同一であり、検察官の釈明内容によると、新旧訴因で上記の時期及び犯行態様に変更が生じたのは,これらの点に関する被害者の供述が変遷し、また、その内容が補充捜査によって裏付けられた結果によるというのである。こうした新旧両訴因の記載の共通性と検察官が訴因変更請求をした経過に照らせば,変更前後の訴因は,その犯行日時の相違にかかわらず、被害者から被告人に対する同一の金銭の流れにつき,これを恐喝として法的に構成するか,あるいは,新たなナイフの使用という事実を付け加えて強盗と法的に構成するかの違いがあるにすぎないといえ,一方の犯罪が成立すれば,他方の犯罪は成立しない関係にあるというべきである。したがって,新旧両訴因は,基本的事実の同一性があり,法的に非両立の関係にあるというべきであるから,公訴事実の同一性が認められる。」(なお、受験生っぽく書いてみたので、実際に実務で起案する文章とはだいぶスタイルが異なる。)

「基本的事実関係の同一性」というキーワードを入れる必要は必ずしもないとは思うが,そこはまぁ,判例に書いてあるということで。さらっと書いてあるが,以上の記載には,これまで述べてきたようないろいろな理解があるわけである。文字面を暗記するだけの勉強方法がいかに危険か分かっていただけるのではなかろうか。

【蛇足】
最後のいわば第3の類型について,学生を混乱させる有名な例がある。結構悩みの種のようなので,具体例を含めて説明する。
***
被告人は,「2020年1月1日,自動車運転上の注意義務に違反して,信号を見落とし,Vを車ではねた」との自動車運転過失致傷罪で公訴提起された。被告人は,捜査段階から一貫して,自分が車を運転してVをはねたと供述していた。
ところが,被告人は,被告人質問において,突然,次のような供述をした。
「私がVをはねたというのは嘘です。本当は,私は助手席に乗っていただけで,車を運転していたのは,Aなんです。嘘を言ってすみません。」
これを踏まえ,検察官は,警察官に対して補充捜査をしたところ,実際に車を運転していたのはAであることが確認された。そこで,検察官は,次のような訴因変更請求を行った。
「被告人は,2020年1月1日,警察官に対して,信号を見落としてVを車ではねてしまったとの虚偽の申告を行い,もって,罰金以上の刑に当たる自動車運転過失致傷罪の犯人であるAを隠避させたものである。」(犯人隠避罪)
さて、裁判所は,訴因変更を許可すべきか。
***
繰り返し述べているとおり,この事例は,公訴事実の同一性がある場合,訴因変更で対応すべきであるし,そうでない場合には,過失運転致傷について無罪判決を出したうえ,犯人隠避で公訴提起をせよということになる。

この点について,過失運転致傷の事実と身代わり運転の事実は,事実としては間違いなく「非両立」である(被告人が車を運転し,かつ,Aも車を運転していたということはあり得ない。)。それなのに,公訴事実の同一性がないとされる。なぜだろうか(繰り返すが,個人的には初学者は立ち入べきではないと思う。混乱するので。)。

混乱させるような言い回しを使うが、あくまで非両立性基準は,「法的な非両立性」ということであり,「事実関係の論理的非両立性」とは異なるということである。これまで上げた例は,すべて変更前後の訴因を両方有罪にした場合には,二重処罰になってしまうというものだった。つまり,両方を有罪にすると,二重処罰になるかという「法的な非両立性」を問題にしてきているのである。他方,上記の過失運転致傷と身代わり運転の例でいうと,同じ日時,同じ場所において,同じ車をAとBが別々に運転することは論理的にはあり得ないが,誤って両方の事実が認定されてしまった場合,「一連の行為や結果を二重に評価している」ことにはならない。前提となる事実関係が全く異なっており,両方の訴因には,共通する基本的な事実関係が存在しないから,およそ何かの行為や結果を二重に評価して処罰しているという関係がないのである。上記第3の類型では,被告人が3万円を手に入れるという一連の行為や結果について,業務上横領と詐欺で処罰すると,明らかな「二重処罰」になってしまうが,それと比較してほしい。

そのため,自動車運転過失致傷と犯人隠避の両方を有罪にしても,法的な観点からは「二重に処罰している」ということにはならないのである(逆に,二重処罰になるという説明を試みてみるとよい。多分無理である。)。こうした違いがあるため,上記の場合では,公訴事実の同一性がなく,訴因変更によるべきではない,とされるのである。つまり,過失運転致傷と犯人隠避は,論理的には非両立だが,法的には非両立ではない,というわけである。この微妙な違い,分かるかなぁ。分からなかったら,この問題については忘れた方がいいと思う。限界事例で悩み,基礎をおろそかにするのは,相当ではない。

あー...とても疲れた。