へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

少年事件における処遇選択の考え方

今回は,少し毛色を変えて少年事件の処遇選択について勉強してみよう。

少年事件の処遇としては,一般的に,審判不開始→不処分→保護観察→少年院送致という順に重くなっていく(検察官送致,児童相談所長等送致,児童自立支援施設等送致もあるが,ここでは省略)。

少年事件については,刑事事件と異なり,検察官の起訴猶予処分が存在せず,事件として立件されたものは,すべて家庭裁判所に送致される(全件送致主義と呼ばれる。)。したがって,どんなに大したことがない事件でも,立件されてしまえば家庭裁判所が事件を扱うことになる(軽い事件としては,単発の万引き,放置自転車の横領,軽犯罪法違反などが考えられる。)。

そのため,審判不開始や不処分で終わる事件は結構多く,例えば,平成27年の統計では,約7割が審判不開始又は不処分で終局している。

この記事では,最も少年が心配するであろう,少年院送致か保護観察処分かを選択するに当たっての着目点について触れたい。 

なお,前提として,少年を少年鑑別所に収容せずに処理する事件(いわゆる在宅事件)で少年院送致は,実務上,まずないと思ってよい。少年院送致という不利益の大きい処分をする際には,家庭裁判所も慎重に判断しているようであり,鑑別所における心身鑑別の結果を踏まえない少年院送致というのは,たぶん存在しないと思われる。

そういうことで,少年院送致か保護観察(試験観察を経ることもある)かが問題となるケースとしては,観護措置(少年法17条)がとられているケースということになろう。

では,裁判所は,どうやって少年院送致か保護観察かを決めているのであろうか。それは,少年の「要保護性」によるとされる。ここにいう「要保護性」とは,①犯罪危険性(要するに再犯可能性),②矯正可能性,③保護相当性を意味すると言われるが,多くの場合,②と③は無視してよい。結局,少年事件の処分は,少年による再犯可能性がどの程度あるか,という点に求められる。

とはいえ,再犯可能性は将来の予測の問題で不確実であるからこれを確実に予測することはできない。ここが少年事件の一番難しいところである。そこで,家庭裁判所では,行動科学の専門的知見を有する家庭裁判所調査官に少年及び家庭等の調査をさせ,処遇に対する意見を提出させている。この調査官の意見は,裁判官も重視しているようで,調査官の意見が通ることが多い(もちろん,最終判断は裁判官がするから,時には違う処分が下るときもあるのだろうが。)。

再犯可能性を判断する際の考慮要素としては様々なものがあるが,一応,次のようなファクターを総合的に判断するものとされるらしい。すなわち,非行事実の態様と回数,原因・動機,共犯事件における地位と役割分担,非行初発年齢,補導歴・非行歴の有無,保護処分歴の有無,心身の状況,知能・性格,反省の有無,保護者の有無及び保護能力,職業の有無・種類や転職回数,学校関係,交友関係,反社会集団との関係の有無,家庭環境,地域環境,行状一般等である(講座少年保護2ー少年法と少年審判279頁以下)。

「そんな要因を並べ立てられても分からんわ!」というのはもっともな意見なので,もう少しざっくりと分類して考えてみよう。

まず,犯行自体の悪質性が重要である。重大な犯罪をしてしまえばしてしまうほど,再犯可能性や,少年が抱える資質的・社会経験的問題性が根深いことが推測されるからである。そのため,犯行態様の悪質性,動機の身勝手さ,結果の重大性,共犯事件において果たした役割等がまずもって検討される。

次に,少年が抱える問題の根深さも検討される(根深さの程度を図るために,前歴は重視される。)。少年鑑別所において,少年が抱える資質的な問題性,成育歴上の問題性等が分析され,なぜこの少年がこのような犯罪に及んでしまったのかという非行メカニズムが検討される。多くは,その結果を踏まえて処遇が決定される。犯罪に及んだ問題性を分析し,それが社会内では矯正することが難しいとなれば,少年院送致という可能性が高くなる。

さらに,少年の環境的要因も考慮される。典型的には,学業関係,職業関係,家族関係の安定さである。もっとも,これは副次的な要因であり,上記の非行の重大さや問題性の根深さほどは重視されない印象がある。

処遇を決めるに当たっては,概ねこの3つの視点から検討され,社会内処遇で改善更生を図ることができるかが検討される。

ここで,「これだけ反省しているのになぜ少年院なんだ」と不満を抱く少年は多いと思われるので,その点について簡単にコメント。

裁判所から求められるのは,単なる「本当に悪かった」という後悔と反省の念ではない。「本当は優しい子なんです」とよく言われるように,少年自身は,根っこにおいては素直で優しいことが多い。そういった少年らが,なぜ非行に及ぶのだろうか。そこを解明し,解決策を打ち立てなければ,裁判所は,「よし,再犯の恐れはないね」と納得はしてくれないだろう。

だから,少年やその家族には,「犯罪をしたことを深く反省していることを当然の前提として,この事件を起こしてしまったのは,自分の生物学的要因,社会学的要因,環境的要因等の様々な要因につきどのような問題があるのかについてしっかりと向き合って認識し,それを改善するには具体的にどのようなことをしなければならないのかを真剣に考え,それを社会内で実行するという決意と環境を整える。」ということまで求められるのである。そこまで言えて初めて,裁判所を説得できると考えた方が良い。

こうした考えに自主的に及ぶ少年はほぼ皆無であるし,考えが及んだとしても,鑑別所に入れられるくらいの事態に陥っている少年が,社会内で上記の改善に及ぶことができると期待することはできない場合がほとんどである。結局,少年としては,できる限りの反省をしているという認識になっているのに,少年院送致と言われ,納得できない,という事態になってしまう(言い方を変えると,少年としては100点の解答を用意したつもりなのに,裁判所としては,それが30点くらいの評価しかできないと受け止める,ということである。)。

裁判所からこうしたかなり高いハードルを求められている以上,鑑別所に入っている1か月の間でどう変わるかは非常に重要であり,これまでとは違うということを,いかに説得力を持って提示できるかが重要なのである。そして,それを少年のみの力で実現することは,ほぼ不可能であり,少年と家族が共同作業をして,全力で非行の原因や改善更生の在り方を考え,審判までに具体的にこういうことをして,在宅処遇になった場合にはこういうことができるということを提示することが,少なくとも必要なのである。形ばかりの反省文とか謝罪文や示談では,はるかに不十分である。

まぁ,グダグダといったけど,どれだけ少年と親が非行について真剣に考えたかが重要で,それを付添人はサポートするし,調査官や裁判官もその点を見ているのでは,と思う。

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最後に,刑事事件のノリでやると失敗しますよ,という点を2点ほど。

 ①要保護性を判断するに当たって,非行事実は重要な判断要素ではあるものの,非行事実の重さに必ずしも比例して処遇が決められるものではない。刑事事件では,いわゆる「行為責任」として,犯罪行為を中心に量刑は考えられるが,少年事件はそうではない。あくまで少年という「人」が持つ要保護性を中心に考えるのである。したがって,単に先生を殴ってけがをさせたという傷害事件であっても,場合によっては少年院送致という結論もありえなくはない。安易に保護観察だとかいう楽観的な見通しを持ってはいけない。

②刑事事件では示談が重要であると言われるが,少年事件の場合,示談をするのは大抵親なので,それが少年の犯罪危険性を必ずしも減じるわけではないという点には注意が必要。示談したから少年院は避けられるなんて考えない方が良い。「示談をするような積極的に動く親がいるから,少年の家庭環境は良好だ」「親に示談してもらったことで,少年は改めて見捨てようとしない親の存在に感謝し,心を入れ替えた」とか,犯罪危険性に結び付く,もう一歩理屈が必要だと思われる。