へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

相続放棄の錯誤無効?ー勘違いして相続放棄をしてしまったらとても大変ー

【設例】

Aの両親BCは,Aが幼いころに離婚し,Aは,母親Cによって女手一つで育てられた。数十年後のある日,Aは,Bの後妻Dから,Bが死亡し,目立った財産もないので,相続放棄をしたらどうかとの連絡を受けた。Aは,Bとは全く連絡も取っておらず,Bに何の愛着もなかったので,Dの勧めに従い,相続放棄をした。ところが,間もなく,Bが宝くじを当てており,遺産が3億円あまりあることが判明した。Bはこのことを内緒にしており,Dもそのことを知らなかった。Aは自らがした相続放棄を撤回することができるであろうか。

 

【解説】

相続放棄は,一度してしまうと,原則として,取り消すことができない(民法919条1項)。しかし,民法総則又は債権の規定によれば,放棄の取消しをすることができる(同条2項本文)。ただし,その取消権は,追認をすることができるときから6か月で時効により消滅し,10年間の除斥期間にかかる(同項ただし書)。

 

さて,【設例】においてAが言いたいのは,「遺産がないと思っていたのに,実際にはあった」というもので,これは錯誤(民法95条)の主張ということになる。錯誤の法律効果は,「無効」である。さて,これにより,相続放棄の「取消」ができるのであろうか。

  ※ 追記:民法改正によって,錯誤の効果が「取消」とされた。この議論の結論に影響を及ぼすかもしれない。以下の記述は改正前民法を前提にしたもの。

残念なことに,裁判所はこの申述を認めない。福岡高裁平成16年11月30日決定(判タ1182号320頁)を参照しよう。事案を簡単にして説明すると,父親が亡くなり,母親に全財産を相続させようとして,子らが全員相続放棄をしてしまったがために,民法の規定に従い,第3順位であった被相続人の兄弟姉妹(被相続人とはほとんど交流がなかった)に遺産が分散してしまったというケースである。子らとしては,たまったものではなかったので,相続放棄の取消しの申述をした。

ところが,福岡高裁は,この申述を却下した原決定を是認した。つまり,錯誤無効は,無効であり,民法919条2項にいう「取消」には該当しないし,そもそも相続放棄の申述が受理されても,それを別途争うことは妨げられないから,相続放棄の無効を受理しなければならない必要性はない,というのである。

要するに,別途訴訟で争いなさいということである(ちなみに,新版注釈民法471頁も,立法的な手当が必要であることを示唆しているところであり,この高裁決定を覆すことは,困難であろう。判例タイムズ1100号308頁も同様の見解である。)

この高裁決定を前提とすると,【設例】の事案は,細かい検討をするまでもなく,残念ながら相続放棄の取消しは認められず,別途訴訟などで争いなさいということになる。

結局,お父さんが亡くなったけど,とりあえず遺産はお母さんに相続させよう,という場合には,決して相続放棄という手段をとってはならない。遺産分割協議をすべきだ,ということになる。

ただし,繰り返し述べているとおり,相続放棄の申述が無効だとして争うこと自体は何ら禁じられない。そのため,とりあえずは相続放棄の申述が受理されたとしても,それは無効だときちんと説明できるような資料はしっかりと残しておこうということになる。

さて,そうすると,どのような場合に相続放棄が無効となるかを検討しておく意義はある。その際に参考にすべきは,やはり最高裁昭和40年5月27日第一小法廷判決である。

 

事案を(かなり)改変して説明すると,次のような感じである。

被相続人Aが死亡し,その相続人は,Aの妻B,Aの子C,Dであった。相続人らは,長男であるCに財産を相続させようとし,B,Dは,相続放棄の申述をした。ところが,Dは,気が変わりすぐに申述を取り下げたため,結局Bの相続放棄の申述のみ受理された。この結果,Aの遺産は,CとDが2分の1ずつ相続することになった。Bは,Dが相続放棄の申述を取り下げることを知っていたら,相続放棄をしなかったとして,自己の相続放棄は無効だと主張した。

 

原審は,Bによる相続放棄はDの相続放棄とは別個にそれと無関係になされたものというべきであり,BがDが相続放棄をしてくれるであろうとの期待の下に相続放棄をなしたのは縁由の錯誤にすぎず要素の錯誤があるということはできないとしたところ,最高裁は,これについて,上記の相続放棄に関するBの錯誤は単なる縁由に関するものにすぎなかった旨の原審の判断を是認した。

 

【設例】についてはどう考えるべきであろうか。この点,豊富な相続財産であるにもかかわらず債務超過と誤診して相続放棄をした場合は動機に錯誤がある場合にすぎないとする学説が有力(近藤英吉・相続法論下692頁),というか通説ではなかろうか。これによると,【設例】の場合には,残念ながら相続放棄の撤回というか取消は認められないということになる。

 

相続放棄までには3か月間あるから,しっかりと相続財産はチェックするのが相続人の責任であり,その結論は,まぁ,やむを得ないであろう。なお,先ほどの福岡高裁の例では,要素の錯誤が認められるものと思われる。相続放棄の意思表示は,実質的には相続分の譲渡の意思表示であり,その法的な効果につき重大な錯誤があると考えられるからである(新版注釈民法464頁も参考に)。

まとめると,勘違いで相続放棄をしてしまった場合,もはや相続放棄の取消しという手続を踏むことはできず,交渉又は訴訟にならざるを得ないわけである。争うことは不可能ではないが,非常に煩雑になってしまうし,不確定要素が多くなってしまう。

相続放棄は,くれぐれも慎重に…