へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

「何者」の感想

月2冊は専門書以外の書籍をを読もうということで、今月2冊目の本の感想。朝井リョウの「何者」。

読売新聞でおすすめされていたので、Kindleで購入。購入の動機は、就職活動に関する心の動きとかを見てみたかったから。

 

あらすじは、主人公が、友人らと一緒に就職活動をしていく中で生じた出来事を主人公目線で記載したもの。現実の自分と、SNS上の自分という二面性が一つのテーマになっている。

 

この物語での盛り上がりの場として多くの人があげるのが、瑞月が隆良にキレる場面と、理香が主人公にキレる場面の2つだろう。前者は、様々な理由をつけて結局何のプロジェクトにも最後まで関わろうとしない隆良の態度に、瑞月が、もはや努力の「過程」は誰も見てくれない段階にきており、何かを「自分」の中から捻り出しさえしない隆良の態度は間違っているとキレる場面。後者は、物事を一歩離れた視点から斜に構えて見ている主人公の態度に、カッコ悪いと自覚しながらもガムシャラに動いてると思っている理香がキレる場面。2つの場面には共通点があると思う。すなわち、「情報を集めて知ったような態度をしていだけで、行動に移さないのが一番かっこ悪い、たとえその行動がカッコ悪いものだったとしても。」という点だ。カッコ悪い「自分」を受け入れられず、他の理想とする「何者」かになろうとすることはできない。自分を自分として受け入れた上で、何かの理想があるのなら、その理想に「自分」を近づけるべきだ。そんなメッセージを感じた。

 

なんとなく感じたのは、最近、「じゃあ、自分でやってみろよ」と思うことが増えたということだ。例えば、ダイアモンドプリンセス号の事件なども、国民からは多数の批判があるが、実際の担当者は、少しでも事態を良くするためにいろいろとガムシャラに頑張ったのではないだろうか。それを、その中に入ってすらいない外からの人が、安全な家の中から、好き勝手に批判する世の中だ。もちろん、修正すべき点はあるだろうが、まずは彼らが絞り出したいくつかの「善い点」をきちんと評価してあげるべきではないだろうか。今や、情報発信がはるかに容易になった世の中であり、誰もが、「自分」を離れた他の「何者」かになることに安心感を覚えているのではないだろうか。作者は、そういう世の中を暗に批判しているんじゃないかなぁと思った。

 

結局、就職活動が中心とはいいつつ、肝心の就職活動についての描写が具体的ではなかったので、就職活動に関する心の動きを見て見たいという最初の目的は達成できなかったような気はするが、まぁ、読書ってそんなもんだろう。