へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

質問事項を作る

仕事上、関係者に対して質問を直接投げかけることが多い。しかもそれは、失敗の許されない一発勝負だから参ったものだ。

 

そこで、質問事項を作るときの注意点をば。

答えが予想できる事項については、まず答えから書き、それからその答えを考えること。うまい質問というのは、答えやすい質問で、答えやすい質問というのは、想定される答えが分かる質問で、想定される答えが分かる質問というのは、答えを意識した質問ってこと。質問者が何を聞きたいかではなく、相手にこう答えさせるためにはどう書けばいいかを考える。そのために、まず、答えから書く。

答えが予想できない事項については、そもそも質問すべきかを考えなければならない。仮にせざるを得ないときは、できるだけ相手をコントロールすることを意識する。相手に自由に話させるのではなく、想定した答えに誘導するように聞く。もし想定された答えが出ないときは、問い詰める材料があるとき以外は潔く引く。

 

とか言いつつ、このあいだの自分の質問はひどかった…

 

 

英語を勉強することの副次的効果

英語を勉強していて特に感じるのは,英語を勉強していると,自分の意見を言わなければならないことが本当に多いこと。TOEFLとかもそうだけど,自分の意見を述べることが積極的に求められる。アメリカ人と話していても,自分の感情や考えを聞かれることがとても多い。どう思った?どう考える?なんて質問はしょっちゅうだ。この間も,「ニュージェネレーション」と呼ばれる世代について,どう思うんだ?とか聞かれた。

 

日本人は,こうした議論をあまり好き好んでしない。けど,いろんな論点について「自分はどう考えるのか」ということを考えると,一気に興味の幅が広がるし,考えの幅が広がる。何か自分の意見を持たないといけないとき,人は,その根拠を探しに走る。何か意見を言わないといけないという意識が,人を知識の集約に駆り立てる。

 

英語を勉強することで,そうした積極的な姿勢も学んだと思う。

 

 

議論をすること

仕事上,議論をすることは避けられないし,避けるつもりもない。ところで,最近は,民事訴訟では口頭主義の形骸化が唱えられているらしい。実質的な争点整理がなされていない,ともいう。

さもありなん,というのが率直な感想かな。大きな問題としては,争点整理の理想像が,裁判所と当事者との間で共有されていないのでは,というのがあるように思う。ゴールが定まらないのに,それに向かった努力は望めないだろう。

共通言語である要件事実を基本に据えた上で,争点を中心にした議論をし,設定した争点についても,主要事実レベルだけでなく間接事実レベルまで掘り下げた議論をする,こうした点を当事者が理解した上で簡にして要を得た書面を提出し,裁判官は求釈明をするなどして口頭議論をリードし,議論を通じて当事者との理解を共通化し,その結果を調書に残す。

おそらく,エッセンスをまとめるとこんな感じだろうか。

 

頭で何となくわかっていても,なかなかうまくできないのは仕方がない。当事者としては,裁判所のリードに任せきりにならず,議論がかみ合っていないと思えば,積極的に裁判官に議論を吹っかけていいと思うし,裁判官としては,書面だけで分からないところは恥ずかしがらずに当事者に聞けばいいと思う。そういった,何でも話すことができる雰囲気が当たり前になってくれば,変わっていくのだろうか。

公開法廷でやりにくいとしても,弁論準備くらいではもっと話してもいいと思う。

 

書いていて思ったが,偉そうなこと書いてんな 笑

いいんだ,黙ってるよりは。きっと。

覚せい剤の自己使用事案における故意の認定

覚せい剤の自己使用罪で,頻繁に聞く弁解の内容としては,「自分が知らないうちに覚せい剤が体内に入った」というものである。

 

覚せい剤は,隠れて使うものなので,尿中から覚せい剤成分が出たこと以外に,いつ,どのようにして被告人が覚せい剤を使用したのかを認定することは,ほとんどのケースで不可能である。

 

それでは,裁判所はどうしているかというと,次のような「経験則」を使うわけです。すなわち,「覚せい剤は厳しく取り締まられている禁制品であり,通常の社会生活において偶然に体内に摂取されることはありえず,被告人の尿中から覚せい剤の成分が検出された場合,特段の事情がない限り,故意に覚せい剤を摂取したと推認することができる」。

 

今この記事を読んでいる方であれば,いつ,いかなる時に尿検査をしたとしても,尿中から覚せい剤成分が出ることは,まずない。普段触れることは,普通ないからだ。いわんや,それを体内に取り込むことなど,ますますない。覚せい剤は,「あえて使わないと,体内には普通取り込まれない物質」だということである。

 

もっとも,これも結局は事実上の推認に過ぎないのだから,その経験則によりかかりすぎず,具体的な事情を踏まえて,被告人が覚せい剤を自己の意思で使用したかをしっかりと検証しなければならない。

 

こうした事例で,被告人が覚せい剤使用者の周辺にいたりすると判断が難しい。被告人が覚せい剤に親和性を有することは,上記の事実上の推認をより一層強める方向に働く事情として考慮することができる一方,「特段の事情」をうかがわせる事情にもなりえるのである。「ふつうは体内に入らないけど,自分は覚せい剤関係者に恨まれているんだ。私は陥れられたんだ。」という感じの弁解が可能になってしまう。

 

裁判所って大変だ。この点,ホームレスの尿中から覚せい剤成分が検出されたが,具体的な事情を検討して,第三者が覚せい剤を混入させた疑いが残るとして被告人を無罪にした東京高裁平成28年12月9日判決は,原審との対比を含め,非常に参考になる。

リモートアクセスによる電子データの差押え

研修832号の記事(東京高裁の判決を題材にしたもの)の感想。

 

事案は次のような感じ。

捜査機関は,リモートアクセスの許可がある捜索差押上により,被疑者方からパソコンを押収した。しかし,捜査機関は,パソコンを差し押さえる際,パソコン内からアクセス可能なGメールアカウントのパスワードが分からず,リモートアクセスによりGメールのやり取りを記録することができなかった。捜査機関は,その後,Gメールアカウントのパスワードを解析し,「検証許可状」を改めて取得し,押収したパソコンからGメールサーバーにアクセスして,メールの履歴を取得した。なお,Gメールのサーバーは,日本国内に存在したとは認められなかった。

東京高裁は,この検証令状により取得されたメールのデータは違法収集証拠であるとしてその証拠能力を否定した。

 

※※ リモートアクセスによる差押え ※※
刑事訴訟法218条2項で認められている制度(平成23年法律第74号の改正により追加された制度)。

差し押さえるべき物が電子計算機であるときは、当該電子計算機に電気通信回線で接続している記録媒体であつて、当該電子計算機で作成若しくは変更をした電磁的記録又は当該電子計算機で変更若しくは消去をすることができることとされている電磁的記録を保管するために使用されていると認めるに足りる状況にあるものから、その電磁的記録を当該電子計算機又は他の記録媒体に複写した上、当該電子計算機又は当該他の記録媒体を差し押さえることができる。」(刑事訴訟法218条2項)

要するに,差押えの対象物がパソコンなどインターネットを通じてサーバーに接続されている場合に,差押え対象物であるパソコンを操作してサーバーからデータをダウンロードしてて当該パソコンにデータを保存して,そのパソコンを差し押さえることができるという制度。
具体例としては,捜査機関が,OneDriveとかiCloudとかに保存してあるデータを,そのパソコンに落としてそのパソコンごと差押えられるというもの。

例えば,被告人が,ipadの中に写真やPDFデータを保存しておらず,icloudやOneDriveとかを使ってクラウドにデータを保存している場合に,ipadだけを差し押さえても,肝心の写真データやPDFデータを差し押さえることはできない。差押えという処分は,物の占有を強制的に取得するというものなので,差押物だからといって当然に操作をすることができるわけではないからである。そのため,リモートアクセスを許可する差押の制度が制定されたわけである。
※※※※※※

 

当該パソコンを利用してされたGメールのやり取りは,内容によっては非常に証拠価値が高く,証拠とする必要性が高い。押収したパソコンに保管されているデータを解析することは,通常許される。では,押収されたパソコンではなく,クラウド上に保管されているデータを解析したい場合に,捜査機関はどうすれば良いのだろうか。

 

捜査機関としては,リモートアクセスの許可を得た差押状の発付を一度受けていた。しかし,差押の場ではパスワードが分からず電子データをダウンロードすることができなかった。さて,パソコンを持ち帰った捜査機関は困っただろう。差押を完了した以上,リモートアクセスの許可がある差押の効力はもうなくなっている。捜査機関は,そこを悩み,結論として,「検証許可状」を請求することにしたのだろう。しかし,「検証令状」は,押収したパソコンを五感の作用で認識することを許可するものにすぎず,そこでの被侵害利益は,パソコンの所有者(ここでは被疑者)である。ところが,警察が欲しい情報は,被疑者のパソコンではなく第三者のサーバーに保管されている情報である。そうすると,被疑者が所有するパソコンに対する検証令状で,パソコンの所有者以外の権利を制約することは,許されない。したがって,被疑者のパソコンに対する検証令状を用いて,「第三者」のサーバーにアクセスをした場合,そのサーバーの管理者の権利を無令状で侵害することになってしまう。したがって,結果として,捜査機関がメールサーバー内からデータを抽出したことは,違法であると言わざるを得ない。

 

では,捜査機関としては,どうすればよかったのだろうか。よくありそうな話であるにも関わらず,ここが難しい。Gメールデータは解析したいが,それを取得するための手段をどうするか。おそらく正しい考え方は,押収済みのパソコンに対して,再度リモートアクセスを許可する差押令状の発布を求めることだったのだろう。

とはいえ,個人的には,捜査機関が検証許可状という選択肢をとってしまったのは,結果的に違法ではあるものの,重大な違法性があり証拠排除をしなければならなかったのだろうか,という疑問もないではない。

この問題を難しくするのは,サーバーが外国に存在する可能性が高いことである。通常,外国に所在する物に対して日本の強制捜査をすることは,相手国の主権との関係でできないと考えられる。 しかし,今やクラウドにデータを大量に保存する自体で,そのデータサーバーも,世界各国に散らばっている状態。その中で,形式的にサーバーが国外にあるから,他国の主権に配慮し,それを取り出すことは差し控えるべきだというのは,現代のクラウド時代の感覚に沿わないように思う。自分の携帯電話にもGメールのアプリを入れているが,その内容を取り出すことができないっていうのは,どこかおかしな感覚がある。ラインのサーバーが国内にあれば差押できるが,国外にあれば差押ができないというのは,実態に合わないように思う。

 

結局,この問題も,法制度が現代の時代の流れに対応できていないことの一つの現れなんだろう。

「子供の貧困」問題に対する意見

年末にかけて,「子供の貧困」という問題をよく目にします。そこで,ごく簡単に自分の意見をごく簡単に述べたいと思います。

 

第1 要約

 1 「子供の貧困」は重大な問題である

 2 貧困レベルの子供の多くは,ひとり親である

 3 ひとり親が貧困レベルである要因の一つに,養育費の不払がある

 4 養育費の不払は,日本の養育費の徴収制度にも原因がある

 5 アメリカの制度では,養育費の支払は行政による手厚いサポートと,司法による強制がある(払わなかったら逮捕されたり,パスポートや運転免許を取り上げられる。)

 6 「子供の貧困」の解決は,第一義的には,子供の両親による援助,すなわち養育費の支払によって解決されるべきである。それが機能しない場合に初めて,税金による填補をすべきである。

 

第2 各論

1 「子供の貧困」は重大な問題である

もし,貧困のために満足な教育が受けられないとしたら,それは大きな問題といってよいでしょう。教育が個々の子供の成長にあたって重要な要因となるだけではなく,将来の日本の成長という側面にも関係するといえます。

例えば,シンガポールは,国土の非常に小さな国ですが,子供の教育に非常に力を入れています。その成果でしょうが,海外の大学における成績優秀者に占めるシンガポール人の割合は,非常に高いと聞きます。世界がものすごい速さで動く中,優秀な人材は重要であるといってよいでしょう。日本は,過去の栄光にしがみついていることはもはやできません。今後,国全体としての成長に真剣に取り組むべきでしょう。

 

2 貧困レベルの子供の多くは,ひとり親である

ニュースなどで見る貧困レベルの子供の多くは,いわゆるシングルマザーでした。もちろん,両親健在でありながら貧困である子供もいるでしょうが,少数ではないでしょうか。調べていませんが。

 

3 ひとり親が貧困レベルである要因の一つに,養育費の不払がある

ひとり親で,養育費の支払を受けているのは,わずか2割という統計があるようです(真偽のほどは定かではありませんが)。どう考えても,ひとり親が貧困である要因の一つになっているとしか言いようがありません。

 

4 養育費の不払は,日本の養育費の徴収制度にも原因がある

日本において,養育費の支払を任意に受けられなかったら,どうすればよいでしょうか。

裁判所に行って,差押の手続をするのです。差押をするためには,相手の住所,職場,財産などを知らなければなりません。

分かれた配偶者の住所ってどうやって知るんですか?どの銀行支店に預金通帳を持っているか知っていますか?今の相手の職場を知っていますか?こんなの,あきらめる人が多いのに決まっています。やりたくないですし,やろうとしても非常に難しいのが普通です。

 

5 アメリカの制度では,養育費の支払は行政による手厚いサポートと,司法による強制がある(払わなかったら逮捕されたり,パスポートや運転免許を取り上げられる。)

アメリカにおける養育費の支払制度は,手続が簡単である上に,非常に厳しいです。以下の論文を見つけましたので紹介します。

https://ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/bitstream/10965/930/1/SLR_46_3_450.pdf

大きな違いは,養育費の徴収は,行政が担当しており,親が自ら手続きをする必要がないという点と,養育費の不払いに対する制裁が非常に厳しいという点です。ほかにも,父親が行方をくらましても,どこかの職場に就職すれば,その情報を行政が把握し,賃金の差押をすることができます。養育費を支払わなかったら裁判所に呼び出され,呼出に応じなかったら,逮捕され,具体的な支払計画を裁判官の面前で立てなければなりません。養育費を支払いたくないから認知しないなどという主張は通らず,遺伝子の検査を受けさせられます。

やりすぎだと感じる方もいるでしょう。確かに,アメリカの制度をそのまま日本に導入することはできないかもしれません。しかし,肝心なのは,養育費は「子供の福祉」のためにあるとい点です。子供の養育は,親の完全な自由にゆだねられているわけではないのです(例えば,親は子供に教育を受けさせる義務を,憲法上負っています。)。こどもの養育は,親の「責任」なのです。この観点からすれば,父親が誰なのか言いたくないとか,子供を認知したくないといった主張は,いかにも身勝手なものだといえるのではないでしょうか(もちろん,性犯罪の結果だとかそういった極端な例は除きますが。)。

 

 6 「子供の貧困」の解決は,第一義的には,子供の両親による援助,すなわち養育費の支払によって解決されるべきである。それが機能しない場合に初めて,税金による填補をすべきである。

さて,ニュースを見ていると,「子供の貧困」を解決するために,義務教育の制服や教材も含めて無償にすべきだとか,貧困レベルの子供には大学の学費も減免すべきだとか,補助を手厚くすべきだとか,いろいろな主張があります。これらの財源は,もちろん,国民から公平に集められた税金です。

しかし,先に述べたとおり,子供の養育をする第一次的な責任は,国家ではなく,親が負っているはずです。そのうち,養育費を支払っていない親がどれほどいるでしょうか。この第一義的な責任を果たさせるようにする制度を軽視したまま,国家がいかに貧困レベルの子供を救うかという議論をしたとしても,賛同を得られるとは思えません。

まずは,養育費制度の改革が急務である,そう私は考えます。

もちろん,養育費が得られない場合もあるでしょう。その場合には,税金による補助をすべきだと考えます。八方塞がりな場合には,子供に対する第二次的な責任を負っている国が手を差し伸べて,子供に対する教育責任を果たしていくべきでしょう。