へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

嫡出推定と嫡出否認と親子関係不存在確認

民法772条1項は、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」と規定している。いわゆる嫡出推定の規定である。
この規定を前提とすれば、たとえ妻が不倫相手との間で子を作っても、法律上は、夫との間の子として扱われる(DNA等の生物学的観点よりも、婚姻関係という法的関係を優先している、ということである。)。
夫としては、他人の子が自分の戸籍において自分の子として記載されているので、落ち着いてはいられないだろう。しかし、子の出自についていつまでも争われると、子を中心とした紛争が生じ、安定した育成環境を保つことができず、子の福祉に反する。
そこで、民法は、夫が子の出生を知った時から1年以内に限って、嫡出否認の訴えによって嫡出関係を否定する余地を認めた(民法774条ないし777条)。民法は、生物学的な観点からの正確性よりも、身分関係の安定という法的関係の安定を優先しているのである。


出訴期間内に嫡出否認の訴えが提起された場合には、DNA等生物学的な観点からの主張立証を行うことが可能であり、審理としてはそう難しくはない。

他方、出訴期間を超えてしまうと、嫡出否認の訴えは提起することができなくなるので、それで親子関係は確定、、、と思いきや、そうではなく、実務上、民法772条の推定が「及ばない」として、それを前提とする嫡出否認制度によらずとも、親子関係不存在の確認の訴えを提起することができる、という運用が行われている。つまり、民法772条の適用範囲を「制限」する余地を見出しているのである。

この点、判例は、嫡出推定の例外として、既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われ、夫婦が遠隔地に居住して、夫婦間に性的関係を持つ機会がなかったことが明らかであるなどの事情がある場合には、「嫡出の推定が及ばない」としている(いわゆる外観説)。そのほかにも、血縁説、家庭崩壊説、合意説などがあるところであるが、現状、最高裁は、外観説を堅持している。

そのため、親子関係不存在確認訴訟では、まずは772条の推定が及ばないといえるかについて審理がされ、それが及ばないとされた場合(又は及ばない余地があるとされた場合)に、DNA鑑定を行い、最終的な判断がされる。

夫として、不倫相手との間の子だ、と主張したくても、出訴期間をすぎると相当に主張できる範囲が狭まってしまうので、対応は早めに行う必要がある。それがひいては子の身分関係の安定につながる。

確かに民法制定当時とは状況が変わっているのだから、妻と夫以外の者の性交渉の事実があり、かつ、DNAとかでほぼ確実に夫以外の者との子であることが示された場合には、親子関係不存在を認めるというのが妥当な法政策だという意見もありうるが、個人的には、DNA検査を促進してしまうことになり、子の出生に関するプライバシーがどんどん暴露される傾向になってしまい、身分関係の安定という観点からはどうかな、という気もするので、外観説をとる最高裁の立場に、現時点では賛成したい。

固有必要的共同訴訟に関する思考整理

実務で訴訟をやっていると、「あれ、これって共有者全員を当事者としなくてよいっけ?」と悩む事例に出くわす。例えば、原告が、ある土地を時効取得したと主張して、所有権移転登記を求める事案について、その土地の共有者のうち2名については協力を申し出る一方、そのほかの1名については同意が得られず訴訟やむなしとする場合に、1人を被告にすれば良いのか、それとも共有者全員を被告にしなければならないのか、という感じである(仮に固有必要的共同訴訟となると、被告が3人とかならまだ良いが、登記が古く、相続が繰り返されており、被告が40人とかになってくると、目も当てられない。)。

これは、当該訴訟がいわゆる固有必要的共同訴訟に該当するかどうかという問題となるわけだが、その判断基準が今ひとつわかりにくいし、本をざっと読んでみてもいまひとつ入ってこない。そこで、この点について少し整理してみたいと思う(共同訴訟の基礎だとか、必要的共同訴訟の手続的規律等については割愛し、あくまで固有必要的共同訴訟となるか否かという観点からのみ整理する。)。

1 固有必要的共同訴訟

固有必要的共同訴訟とは、上記のとおり、合一確定の必要性があり、かつ、訴訟共同も必要とされる訴訟類型である。この場合、関係者全員が当事者となっていなければ当事者適格を満たさず、訴えが却下されることになる(最初の例でいえば、共有者全員を被告としないと、訴えを却下されてしまう。なんとも厄介なことである。)。

固有必要的共同訴訟のうち、他人間の法律関係に変動を生じさせる訴訟や(婚姻無効の訴訟を第三者が提起したり、取締役解任の訴えを提起する場合)、目的となる権利について管理処分権が数人に帰属している場合(例えば、破産財団に関する訴訟で、数人の破産管財人がいる場合)などは、その関係者全員に訴訟に関与させないとマズいことになるので、固有必要的共同訴訟に該当するというのは、比較的イメージが湧きやすい。そのノリでいくと、共同所有に関する訴訟についても、固有必要的共同訴訟にしましょう、という方向に行きそうであるが、ここが難しいところとなる。

2 共有関係と固有必要的共同訴訟についての基本的な考え方(入会とかは割愛)

共有関係に関する訴訟について、固有必要的共同訴訟であるかを検討するに当たっては、当該訴訟において問題となる権利の種類に着目して決めることが重要である(実体法を基準に整理する。)。共有権それ自体が訴訟の対象になる場合には、原則として固有必要的共同訴訟として処理され、共有持分権をもって権限の単独行使が可能な場合には固有必要的共同訴訟であることを否定し、さらに、共有権それ自体が訴訟の対象となる場合であっても、保存行為(民法252条5項参照)や不可分債権といった、実体法上単独行使が可能な権利として構成することができる場合には、固有必要的共同訴訟とはならない。つまり、共有者が単独で行使することができる権利が訴訟の目的であれば、固有必要的共同訴訟ではないと整理するわけである。

なお、このような議論が生じる背景には、固有必要的共同訴訟は「大変」なので、その範囲をできるだけ絞ることができないか、という考えがあると思われる。共有関係が訴訟の目的であれば、全部固有必要的共同訴訟にしてしまえばいいじゃん、という考えは、思考整理としては単純明快だが、冒頭の事例のように、「そこまでやる必要ある?」という例もなくはない。固有必要的共同訴訟を拡大することは、手続を不必要に重くするおそれがあるので、できるだけその適用範囲を狭めることができないか、という考えがあるのではないかと思われる。

そうした観点からすると、実体法を基準に整理するといっても、訴訟法的な観点を無視することまではできず、手続的側面も、利益衡量の一環として考慮してもよさそうである(実際、最判昭和43年3月15日はこの観点についても触れる。)。重点講義(高橋宏志)では、訴訟物たる権利の性質、紛争解決の実効性、原告被告間の利害の調節、当事者と当事者にならない利害関係人の間の利害の調節、当該手続の進行状況など、実体法的観点と訴訟法的観点との双方から衡量して判定していくべきである、とされている。

3 共有関係と固有必要的共同訴訟にかかる判例の整理

⑴ 共有者相互の間で行われる訴訟

ア 固有必要的共同訴訟とされたもの
  遺産確認訴訟(最判平成元年3月28日等)
  相続人地位不存在確認訴訟(最判平成16年7月6日)
  遺産分割無効確認訴訟(福岡高裁平成4年10月29日)
   ※ これら3つの訴訟は、共有関係の確認を求める実体法上の観点からも説明できるし(伊藤真民訴第7版672p)、共同所有者間で判断を統一しなければならないという要請に基づき、固有必要的共同訴訟とされているとも説明できる。
  共有物分割訴訟(大判明治41年9月25日等)

イ 固有必要的共同訴訟でないとされたもの
  共有持分権の確認を求める訴訟(大判大正13年5月19日)
  遺言無効確認訴訟(最判昭和56年9月11日等)

⑵ 共有関係者が原告となって第三者を訴える訴訟

ア 固有必要的共同訴訟とされたもの
  夫婦が原告として第三者に対して所有権確認+移転登記請求を求めた事案(最判昭和46年10月7日。共有者が有する1個の所有権そのものが問題となっているとされる。)
  共有者全員が共同原告となり、共有権(数名が共同して有する1個の所有権)に基づき移転登記手続を請求した事案(最判昭和46年10月7日。同様に、共有者が有する1個の所有権そのものが問題となっている。)
  共有地にかかる境界確定訴訟(最判昭和46年12月9日、最判平成11年11月9日)

イ 固有必要的共同訴訟でないとされたもの
  共有持分権の確認訴訟(最判昭和40年5月20日。共有持分権が対象)
  共同所有権に基づく特定物の給付請求(最判昭和42年8月25日、保存行為)
  抹消登記請求(最判昭和33年7月22日、最判平成15年7月11日。保存行為ないし共有持分権それ自体による妨害排除請求権。なお、最判平成22年4月20日)
  要役地のために承役地上に地役権設定登記手続を求める訴え(最判平成7年7月18日)
  預金取引経過開示請求(最判平成21年1月22日。保存行為)がある。

⑶ 共有関係者が被告となって第三者から訴えられる訴訟

ア 固有必要的共同訴訟とされたもの
  原告が、所有権に基づき、共同して建物を競落した被告等に対して、その共有名義の所有権移転登記の抹消登記手続を請求した事案(最判昭和38年3月12日。最判昭和43年3月15日とは異なり、所有権に基づく請求をしている点に注意。同最判調査官解説では、本件は契約上の履行請求をしている昭和43年最判の事件とは事案が異なるとされている。)
  原告が、被相続人から不動産を買ったがその登記を経由しない間に、虚偽の贈与に基づき第三者に単独の所有権移転登記が経由されたという事案について、原告が、当該第三者に対して贈与の無効を求めるとともに、被相続人との間の売買契約に基づき、被相続人の相続人らに対して所有権移転登記手続を請求した事案(最判昭和34年3月26日。売買契約を理由とする所有権移転登記請求なのだから、最判昭和36年12月15日と平仄を合わせるのならば、固有必要的共同訴訟ではないのではないか、という気がする。)

イ 固有必要的共同訴訟でないとされたもの
  建物収去土地明渡義務(最判昭和43年3月15日。不可分債務であることが理由)
  農地の売主の協働相続人に対して知事に対する許可申請手続き協力義務の履行を求める訴訟(最判昭和38年10月1日)
  売買契約に基づく所有権移転登記手続請求訴訟(最判昭和36年12月15日。不可分債務を理由とする)
  家屋台帳上建物の共有名義人となっている被告に対して、原告が自らの所有権の確認を求めた事件(最判昭和34年7月3日。訴訟の目的物は原告の所有権であって、被告等の共同所有権ではないので当然か。)
  賃貸人の共同相続人を被告とする賃貸借権確認請求事件(最判昭和45年5月22日)

4 最初の設例について

調べ始めた当初は、判例に答えがすぐあるだろうなぁと思っていたが、なんと、そのものズバリの最高裁判例が見当たらなかった。また、原告側については、比較的考え方が整理されていると思われるが、被告側については、権限の行使を受ける側ということで、若干実体法上の位置付けがわかりにくい点も問題の解決を困難にしている。最初の設例は、時効取得であって、その訴訟物(所有権に基づく妨害排除請求権としての移転登記請求権)からすると、最判昭和38年3月12日に照らし、固有必要的共同訴訟とする余地があるのかもしれない(この点、東京高裁昭和61年8月28日は、原告が土地を時効取得したとして、登記名義人の協働相続人等に対して時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求めた事案について、固有必要的共同訴訟に該当する旨の判断をしている。この裁判例によると、設例についても固有必要的共同訴訟であると解釈するのが自然であるように思われる。)。

しかし、事案の内容に照らし、全員を被告にしなければならず、かつ、手続分離も認めないというのは、事案の性質上、手続が重すぎるとも思える。そして、移転登記を求める訴訟は、登記申請の意思表示を求めるものであり、登記申請は、相続人全員が申請人とならなければならず、一部の者が移転登記の意思表示をしたところで、移転登記を完了することはできないから、手続分離をして順次判決をしても、問題は生じない。そこで、最高裁としてはなんとなく所有権に基づく請求→固有必要的共同訴訟、契約上の義務の履行→通常共同訴訟というように整理しているようにも見えるが、いずれの場合であっても登記申請義務は不可分債務の性質を有するとして、通常共同訴訟として取り扱って良いのではないかと思われる(なお、奈良秋夫「改訂判決による登記」127pは、固有必要的共同訴訟ではないとしつつ、類似必要的共同訴訟と整理している。)。

書き終わってみて思うが、全然「思考整理」になっていないなぁ・・・

 

参考文献
 高橋宏志 重点講義(下)第4講 共同訴訟
 民訴法コンメンタール第1巻527p以下
 伊藤真 民事訴訟法第7版

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する最高裁を読んでみた。

⚪︎ 事案の概要

Xは、性同一性障害であり、自らは女性であるとの確信がある男性である。制度上、性同一性障害の人については、性別変更の手続が認められているが、性別変更が認められるためには、法律上、原則として生殖器を除去する手術を受ける必要がある。しかし、Xは、性別変更をするにあたって手術まで求める法律はおかしいと考え、手術をしないまま性別変更を申し立てた。裁判所は、法律上の要件がない以上、性別変更は認められないとして、Xの申立てを却下した。Xは上告し、そもそも手術を求めるような法律がおかしいとして、最高裁の判断を求めた。

 

⚪︎ 最高裁の判断

1 憲法上の保護に値する権利

憲法13条は、「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」を、人格的生存に関わる重要な権利として保障している。生殖腺除去手術は、上記自由に対する重大な制約である。

2 制約の存在

ただし、特例法は、性別変更を求めるものに対してのみ生殖腺除去手術を求めるに止まる(性同一性障害の者全員に手術を求めるものでは当然ない)。しかし、性同一障害者がその自覚する性別の取扱いを受けることは個人の人格的存在と結びついた重要な法的利益である。そうすると、特例法は、性自認に従った法令上の取り扱いを受けるという重要な法的利益を享受しようとすると、手術を受けることを余儀なくさせるもので、上記の身体への侵襲を受けない自由を制約するものである。

3 審査基準

諸々考慮しても、上記制約は、必要かつ合理的なものでない限り許されず、合憲性は、制約の必要性の程度と制約される自由の内容、性質、制約の態様や程度等を比較衡量して決めるべき。

4 当てはめ

⑴ 目的

生殖腺除去手術をしないと、「母である男性」「父である女性」という事態が生じ、親子関係等に関わる問題が生じる。 しかし、このようなことは極めて稀だし、実際に混乱が生じるとは言い難い。また、親子関係の成否や戸籍への記載方法等の問題は、別の立法等で対処可能。また、長きにわたって生物学的な観点から男女は区別されていた中で急激な変化を避ける必要があるが、特例法の制定から19年が経過し、性同一性障害に関する理解が広まりつつある。そうすると、特例法制定当初に想定された制約の必要性は、低減している状況にある。

⑵ 制約の態様や程度

特例法の趣旨は、性同一性障害に対する必要な治療を受けていたとしても、なお法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解される。そうした法的性別を変更することが社会的不利益を解消するために必要かは、その人の治療状況等様々な事情によらなければならず、一律に生殖腺除去手術をする段階にまで至っていることを要件とすることは、現時点では合理的関連性を欠いている。特例法の規定は、生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、手術を受けるか、それとも性別変更をすることを断念するかの二択を迫っており、制約として過剰で、重大なものである。

⑶ 結論 

特例法の規定は、必要性が低減する一方で重大な制約を課すもので、必要かつ合理的なものではなく、憲法13条に違反する。

 

⚪︎ 感想

司法試験の優秀答案のような判決だと感じた。反対意見もあるが、特例法の規定が違憲であることじたいには賛同するもので、破棄自判すべきというもの。

 

同居の拒絶に対する法的な対抗手段

【事例】

XとYは夫婦である。ある日、xが家に帰ろうとすると、鍵が変えられており、yに聞くと、「あなたとの生活は無理なのでどこかへ行ってください」とのことだった。家の所有名義はxである。xとしては、yに対していかなる請求を成しうるだろうか。

 

【検討】

1  損害賠償請求の可否

夫婦の同居協力義務については、民法752条が「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」と規定する。これによれば、夫婦には、同居、協力、扶助の義務があり、これに違反した場合には、一般的には、損害賠償請求の原因となりうると解されている。

もっとも、別居する夫婦は世の中に多数あり、これが全て損害賠償の問題になりうるはずがない。例えば、夫婦関係が破綻している場合や、他方配偶者に有責性がある場合に同居義務を課すのは、おかしい。実際の裁判実務でも、このような場合には同居義務があるとはいえないと判断している。例えば、同居を拒否する合理的事由の存否を問題にする例(東京高裁平成9年9月29日決定)、同居を命ずることが個人の尊厳を損なうか否かを問題にする例(東京高裁平成13年4月6日決定)などがある。このような判断からすると、別居を原因として損害賠償請求が認められるのは、別居について正当な理由がない場合、ということになろう(ただ、正当な理由については抗弁となるのではなかろうか。)。

 

2  建物明渡請求の可否

本件の事例では、家の所有権はxにあることから、xとしては、yに対して建物を明け渡すよう請求することが考えられるであろう。要件事実的には、x所有、y占有となるから、請求自体は立つことになりそうである。

しかし、仲が悪くなったからといってこのような請求を安易に認めることが相当でない。夫婦間の問題には、いずれか一方に一方的な責任があることは少なく、多くのケースでどっちもどっちである。このような場合に、建物の所有名義を盾にして、建物明渡請求を認めることはおかしいであろう。裁判例でも、yについて、夫婦共同生活の場所として、建物に居住する権原を有すると解すべきとした事例がある(東京地裁昭和62年2月24日)。他方、婚姻の破綻の原因を招いた側が家に居座るような事例だと、流石に明渡しを認めた事例もある(東京地裁平成3年3月6日)。事例では、xが締め出された原因等を究明し、基本的には居住権原が認められうるyに対して建物を明け渡すよう請求するような合理的な理由があるかどうかを見極め、yに実質的な使用権原があるかどうかを判断していくことになるものと思われる。

 

3  妨害排除請求の可否

その他の法律構成として、xとしてはその家に居住したいんだ、として、yによる建物使用を妨害することをやめてほしいとして所有権ないし占有権に基づく妨害排除請求をすることも考えられるであろう。この主張を認めた事例として、東京地裁令和元年9月13日判決がある。これに対しては、yの方では権利濫用を主張する程度しか防衛手段はないのではなかろうか。たとえば、yはその家で居住してyにも保護されるべき利益があるところ、別居をするに至った原因はもっぱらxにあり、yとして締め出すことについては正当な理由があるのに、形式的に所有権や占有権のみを持って実質的に同居をさせる結果を生じさせるのは、権利の濫用である、といったものだろう。少し苦しいが、具体的な事例によっては通らない主張ではないかもしれない。

 

【資料】

新家族法実務体系①262p以下

判例タイムズ747号(夫婦・親子215題)

自己紹介をする

その人の人となりを端的に表すのが自己紹介。手短なものだが、その短時間のうちに、その人の印象のほとんどが決まる。

他方で、自己紹介の内容を考えるのは、そう容易なことではない。自分と真剣に向き合わないと、なかなか良い自己紹介というものはできないだろう。

自分は、就職活動にあたって十分な自己分析をすることができなかったので、あまり自分と向き合っているような気がしない。そこで、ここに自分について色々と記載し、気が向いたら更新することによって、自分という存在について少し考えてみたい。

 

⚪︎ 好きな本は

デールカーネギーの人を動かす

 

⚪︎ 好きな言葉は

思考は現実化する

 

⚪︎ 趣味は

ゲーム、ユーチューブ、英語、自転車、ゴルフ、オーディブル

 

⚪︎ 特技は

これといって思い浮かばないが、強いていうなら、大抵のことは7割くらいできる要領の良さ

 

⚪︎ 得意なことは

段取りを考えること、他人の意見を理解すること

 

⚪︎ 苦手なことは

深い対人関係。表面的なものは苦手ではない。

 

⚪︎ 嫌いな人の特徴

他人を尊重せずに批判する人、他人を見下す人

民法651条1項による解除

民法651条1項は、委任契約の任意解除を定める。委任契約は信頼関係に基づくもので、委任関係にありたくないと思ったのであれば、損害賠償義務の問題はおいておいて、契約を解除して契約の拘束力から解放される自由を認めましょうという制度である。

 

ところが、この任意解除権には判例法理上、一定の制限がされている(その理解には議論があるところだが。)。

 

まず、大審院大正9年9月24日判決は、民法651条は、受任者が委任者の利益の為にのみ事務を処理する場合には適用があるものであり、その事務の処理が委任者のためのみならず、受任者の利益をも目的とする時は委任者は同条により委任を解除することがはできないものと解するのが相当であるとしている。その理由は、いつでも委任契約を解除できるとすると、受任者の利益が著しく害される結果になるからである、とのこと。
この判例では、被上告人は、自らの債務者に対する貸金の取り立てを上告人に委任し、その取立高の1割を報酬として、その報酬金をもって被上告人の上告人に対する債権に対する弁済に充当すべき旨の特約をつけており、この特約が有効である間は、債務の弁済期間は猶予されていたという事案であり、このことをもって、債権の取り立て委任契約は、受任者である上告人の利益をも目的とするものであって、解除権は制限されるとした。
この事案では、上告人は委任契約の存在によって自らの債務について期限の利益を受けられる関係にあったことから、受任者の利益のためにもなされたと認定されたのであろう。

 

もっとも、単純な報酬支払い合意は、上記の判例にいうところの「受任者の利益」には該当しないとされる(最判昭和43年9月3日、最判昭和58年9月20日)。新注釈民法によれば、受任者の利益とは、「委任事務処理と直接関係のある利益」をいうとのこと。裁判例で認められたものとしては、委任者が、受任者に対して、受任者の委任者に対する債務弁済の方法として、委任者の債権の取り立てを委任した場合(大審院大正4年5月12日)、委任者の土地の売却を委任した場合(東京高裁昭和31年9月12日)、委任者が経営する会社の経営を受任者に委任した場合(最判昭和43年9月20日)などがある。要するに、「報酬の支払以外の利益で、契約が自由に解除された場合に害される受任者の利益が存在するか(+その利益の保証が契約の内容となっているか)」と言う点が判断基準になるのではないかと思われる。

 

他方、さらにややこしいのが、最判昭和56年1月19日は、受任者の利益の為にも締結された委任契約において委任者が解除権自体を放棄したものとは解されない事情がある場合には、民法651条1項の解除はなお可能であるとした。しかし、「解除権自体を放棄したものとは解されない事情」とはいったいどういったものを指すのだろうか。逆に、651条1項は任意解除を認めているので、この解除権を委任者がわざわざ放棄するとは考え難い気もする。実際の事案ではどういった事実関係を認定すれば良いのだろうか。

 

この点、学説では、「委任事務の処理が委任者の利益であると同時に受任者の利益でもある場合には、委任者が任意に行使できる解除権を放棄する特約があると推定すべきである」としている。そうすると、まぁ、この推定を打ち破るような事情があるか、ということが問題になる、ということにはなりそうである。

 

なんとなく、基本的には契約を解除することは制限するべきではなく、受任者の利益は損害賠償によって填補されるべきである。しかし、損害賠償によって填補されないような特別な利益があれば、解除権の行使は予定されていなかったとして、解除権を制限する、そんな基本的な価値観を持っておけば良いのではないか、と感じる。

 

 

間接損害(企業損害、反射損害)について

【事例】

Aは、B会社のプロジェクトリーダーであったところ、ある日、Cが運転する自動車にはねられ、3ヶ月の入院治療を要する重傷をおった。このため、B会社のプロジェクトは頓挫することになり、B会社は、見込まれていた1000万円の利益を受けることができなかった。また、B会社は、Aの家族のためを思い、Aに対しては入院中も同額の給料を支給していた。AがCに対して交通事故による損害賠償請求をすることができることは当然として、B会社は、Cに対して逸失した利益1000万円と、Aに支給した給料の賠償を求めることができるだろうか。

 

【解説】

本件は、いわゆる「間接損害」とよばれる類型である。不法行為の直接の被害者ではない第三者に対して間接的に生じた損害について、賠償する責任があるのか/どの範囲で賠償すべきなのか、という点が問題になる。

 

実務をやっていると、意外と損害論が難しいなぁと思うことは多い。司法試験ではいくらを損害とすべきか、といった点についてはあまり聞かれないもんなぁ。そのため、相手方代理人から「え、ここまで損害として主張するの?」とびっくりするような主張が出されることもあり、意外と反論には苦労する。

 

さて、間接損害には、一般的に、①企業自身に生じた追加費用や減益等の損害(企業損害)と、②従業員の休業にもかかわらず会社が給与を減額せずに支払ったことによる損害(反射損害)があるとされる。上記の【事例】では、1000万円の逸失利益が企業損害であり、Aに対する満額の給料の支払いが反射損害ということになる。

 

順に見ていこう。まず、企業損害について。この問題を考えるに当たって無視できないのが、最判昭和43年11月15日である。事案としては、薬剤師Dが死亡した事件について、そのDが代表を務めていた薬局Eが加害者に対して逸失利益を請求した事案であり、最高裁は、Dと Eとが経済的に一体をなす関係にあると認め、その事実関係のもとにおいては、Dに対する加害行為とEの逸失利益との間には相当因果関係があるとして、Eによる請求を認めた、というものである。

 

この判例を受けて、実務は、①被害者個人に実権が集中していること、②その被害者に機関として代替性がないこと、③会社と被害者との経済的一体関係があるかどうかをメルクマールとして、企業損害が認められるかを判断している。

 

さて、それでは上記の【事例】ではどのような判断がされることが予想されるだろうか。おそらく、Bの請求は「認められない」。単なる従業員については、いくらその人が有能であろうが、会社の実権が集中していることはあり得ず(①)、基本的には代替性があると考えられ(②)、仮に代替性がない才能を持っている従業員であったとしても、会社とその従業員との経済的一体性を認めるのは無理がある(③)。価値観的にも、そうした人材の得喪については、会社がそのリスクを負うべき話であって、上記の判断は正しいものであると思われる(例えば、Aが家族の都合で会社を辞めた結果、会社が1000万円の利益を得られなかったとしても、それは仕方がない話である。Aが自主的に辞めた場合と、怪我によって辞めざるを得ない場合とで、会社が追うべきリスクを変える必要性はないと思われる。)。

 

このように、企業損害が認められることは、そう多くはないことに注意が必要である。

 

次に、反射損害について見ていこう。「なるほど、企業損害が認められる余地が少ないとなると、会社は本来ノーワークノーペイの原則に従って、従業員に対してお金を支払わなくても良いから、反射損害を認める必要性はなく、企業損害よりもハードルが高いのかな」と思う人もいるだろうが、実は、反射損害を認める事例は少なくない。

 

これはなぜかというと、意外と法律構成によっていけてしまう、というのが理由である。会社は、従業員が休業した場合であっても、労働基準法やその他就業規則によって会社に給与の支払い義務がある場合があり、この義務の履行として給与を支払った場合には、賠償者代位(民法422条)、第三者弁済(民法499条)などの類推適用によって、支払請求をする余地が出てくるのである(賠償者代位の規定を類推適用したものとして、最判昭和36年1月24日)。そのほかにも、事務管理や相当因果関係を利用して賠償を認める裁判例もある。上記の【事例】では、Aに対して支払った給与については、何かしらの法律構成によって賠償が認められるということになるものと思われる。

 

以上の次第で直接の被害者以外に生じた損害であっても、一定の場合には損害賠償義務が発生することになる。

 

今日はこのくらいで。