へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

着衣の上からおしりを触った場合,強制わいせつか,条例違反か

わいせつの定義は,一般に,「徒に性欲を興奮または刺激せしめ,且つ,普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道徳観念に反する」行為をいうものとされている。

 

この度,強制わいせつに主観的な意図が必要かという点についての判例変更があったことは有名なことだが,ここでは,着衣の上からお尻を触ることが「わいせつ」行為に該当するか,という点について少し触れる。

 

これを否定した裁判例としては,着衣の上からでん部を手でなでた行為につきわいせつ行為とは言えないとした福島簡易裁判所昭和33年1月18日判決がある。ほかにも,公園で遊ぶ10歳の女の子の手を引っ張り,背後から抱きついた上,背中,腰部,でん部を撫でまわしたという事例につき,わいせつ性を否定した名古屋地裁昭和48年9月28日判決がある。

 

他方,名古屋高等裁判所平成15年6月2日判決は,住居に侵入して21歳及び14歳の被害女性をトイレ内に閉じ込め,自己の身体を女性に密着させて,女性のでん部を手のひらで撫でまわした行為につき,着衣の上からであってもわいせつな行為であると認定している。

 

結局,良くある話だが,「わいせつ」か否かは,当該事件の具体的事実から見ていくしかないわけで,「着衣の上からかどうか」が唯一の基準であるわけではないということだろう。

 

お尻をさわる前後の言動,態様の執拗さ,被害者の着衣当を総合的に考慮して,わいせつ性を認定する,ということになるわけである。

  

服の上からだとせいぜい迷惑防止条例違反だから大したことではないだろうと考えている人がいるとすれば,浅はかというほかない(もちろん,迷惑防止条例違反も被害者に多大な精神的被害を与える重大犯罪ですよ!)

日々の経験の蓄積

先日,ジュンク堂で「裁判官,当職はそこが知りたかったのです」とかいう本を立ち読みした。少し興味があったので。内容は,裁判官と弁護士の対談みたいなところで,普段触れることができない裁判所の事情を岡口さんがコメントするという感じ。読んだ印象では,裁判所の内部について,問題ない範囲で明らかにしているなぁという感じ。特別な作為は感じず,率直なところが書いてあるという印象。

 

それはともかく,その本の中で要件事実マニュアルを執筆するのにどれくらい時間がかかったのかという中村弁護士の質問に対して,岡口さんはゼロと答えていた点が印象的だった。曰く,日々読んだりしたものをメモしたりして蓄積してきただけで,特別な執筆活動はしていないとのこと。

 

日々の事件処理で,知識を集約しないといけないなぁとずっと思っているのだが,なかなかどうしてこれが難しい。その中で,あれほどの中身のあるものをまとめるんだから,岡口さんの能力はすごいなぁ,と素直に思う。素行はともかくとして。

 

Onenoteを使っていろいろとまとめているけど,うまくまとまらない。長い期間仕事をすることになるのだから,何かしらの形を少しずつでも作っていきたい,という意気込みだけが残る。

 

あぁ,やっぱり自分はうだつが上がらない。

質問事項を作る

仕事上、関係者に対して質問を直接投げかけることが多い。しかもそれは、失敗の許されない一発勝負だから参ったものだ。

 

そこで、質問事項を作るときの注意点をば。

答えが予想できる事項については、まず答えから書き、それからその答えを考えること。うまい質問というのは、答えやすい質問で、答えやすい質問というのは、想定される答えが分かる質問で、想定される答えが分かる質問というのは、答えを意識した質問ってこと。質問者が何を聞きたいかではなく、相手にこう答えさせるためにはどう書けばいいかを考える。そのために、まず、答えから書く。

答えが予想できない事項については、そもそも質問すべきかを考えなければならない。仮にせざるを得ないときは、できるだけ相手をコントロールすることを意識する。相手に自由に話させるのではなく、想定した答えに誘導するように聞く。もし想定された答えが出ないときは、問い詰める材料があるとき以外は潔く引く。

 

とか言いつつ、このあいだの自分の質問はひどかった…

 

 

英語を勉強することの副次的効果

英語を勉強していて特に感じるのは,英語を勉強していると,自分の意見を言わなければならないことが本当に多いこと。TOEFLとかもそうだけど,自分の意見を述べることが積極的に求められる。アメリカ人と話していても,自分の感情や考えを聞かれることがとても多い。どう思った?どう考える?なんて質問はしょっちゅうだ。この間も,「ニュージェネレーション」と呼ばれる世代について,どう思うんだ?とか聞かれた。

 

日本人は,こうした議論をあまり好き好んでしない。けど,いろんな論点について「自分はどう考えるのか」ということを考えると,一気に興味の幅が広がるし,考えの幅が広がる。何か自分の意見を持たないといけないとき,人は,その根拠を探しに走る。何か意見を言わないといけないという意識が,人を知識の集約に駆り立てる。

 

英語を勉強することで,そうした積極的な姿勢も学んだと思う。

 

 

議論をすること

仕事上,議論をすることは避けられないし,避けるつもりもない。ところで,最近は,民事訴訟では口頭主義の形骸化が唱えられているらしい。実質的な争点整理がなされていない,ともいう。

さもありなん,というのが率直な感想かな。大きな問題としては,争点整理の理想像が,裁判所と当事者との間で共有されていないのでは,というのがあるように思う。ゴールが定まらないのに,それに向かった努力は望めないだろう。

共通言語である要件事実を基本に据えた上で,争点を中心にした議論をし,設定した争点についても,主要事実レベルだけでなく間接事実レベルまで掘り下げた議論をする,こうした点を当事者が理解した上で簡にして要を得た書面を提出し,裁判官は求釈明をするなどして口頭議論をリードし,議論を通じて当事者との理解を共通化し,その結果を調書に残す。

おそらく,エッセンスをまとめるとこんな感じだろうか。

 

頭で何となくわかっていても,なかなかうまくできないのは仕方がない。当事者としては,裁判所のリードに任せきりにならず,議論がかみ合っていないと思えば,積極的に裁判官に議論を吹っかけていいと思うし,裁判官としては,書面だけで分からないところは恥ずかしがらずに当事者に聞けばいいと思う。そういった,何でも話すことができる雰囲気が当たり前になってくれば,変わっていくのだろうか。

公開法廷でやりにくいとしても,弁論準備くらいではもっと話してもいいと思う。

 

書いていて思ったが,偉そうなこと書いてんな 笑

いいんだ,黙ってるよりは。きっと。

覚せい剤の自己使用事案における故意の認定

覚せい剤の自己使用罪で,頻繁に聞く弁解の内容としては,「自分が知らないうちに覚せい剤が体内に入った」というものである。

 

覚せい剤は,隠れて使うものなので,尿中から覚せい剤成分が出たこと以外に,いつ,どのようにして被告人が覚せい剤を使用したのかを認定することは,ほとんどのケースで不可能である。

 

それでは,裁判所はどうしているかというと,次のような「経験則」を使うわけです。すなわち,「覚せい剤は厳しく取り締まられている禁制品であり,通常の社会生活において偶然に体内に摂取されることはありえず,被告人の尿中から覚せい剤の成分が検出された場合,特段の事情がない限り,故意に覚せい剤を摂取したと推認することができる」。

 

今この記事を読んでいる方であれば,いつ,いかなる時に尿検査をしたとしても,尿中から覚せい剤成分が出ることは,まずない。普段触れることは,普通ないからだ。いわんや,それを体内に取り込むことなど,ますますない。覚せい剤は,「あえて使わないと,体内には普通取り込まれない物質」だということである。

 

もっとも,これも結局は事実上の推認に過ぎないのだから,その経験則によりかかりすぎず,具体的な事情を踏まえて,被告人が覚せい剤を自己の意思で使用したかをしっかりと検証しなければならない。

 

こうした事例で,被告人が覚せい剤使用者の周辺にいたりすると判断が難しい。被告人が覚せい剤に親和性を有することは,上記の事実上の推認をより一層強める方向に働く事情として考慮することができる一方,「特段の事情」をうかがわせる事情にもなりえるのである。「ふつうは体内に入らないけど,自分は覚せい剤関係者に恨まれているんだ。私は陥れられたんだ。」という感じの弁解が可能になってしまう。

 

裁判所って大変だ。この点,ホームレスの尿中から覚せい剤成分が検出されたが,具体的な事情を検討して,第三者が覚せい剤を混入させた疑いが残るとして被告人を無罪にした東京高裁平成28年12月9日判決は,原審との対比を含め,非常に参考になる。

リモートアクセスによる電子データの差押え

研修832号の記事(東京高裁の判決を題材にしたもの)の感想。

 

事案は次のような感じ。

捜査機関は,リモートアクセスの許可がある捜索差押上により,被疑者方からパソコンを押収した。しかし,捜査機関は,パソコンを差し押さえる際,パソコン内からアクセス可能なGメールアカウントのパスワードが分からず,リモートアクセスによりGメールのやり取りを記録することができなかった。捜査機関は,その後,Gメールアカウントのパスワードを解析し,「検証許可状」を改めて取得し,押収したパソコンからGメールサーバーにアクセスして,メールの履歴を取得した。なお,Gメールのサーバーは,日本国内に存在したとは認められなかった。

東京高裁は,この検証令状により取得されたメールのデータは違法収集証拠であるとしてその証拠能力を否定した。

 

※※ リモートアクセスによる差押え ※※
刑事訴訟法218条2項で認められている制度(平成23年法律第74号の改正により追加された制度)。

差し押さえるべき物が電子計算機であるときは、当該電子計算機に電気通信回線で接続している記録媒体であつて、当該電子計算機で作成若しくは変更をした電磁的記録又は当該電子計算機で変更若しくは消去をすることができることとされている電磁的記録を保管するために使用されていると認めるに足りる状況にあるものから、その電磁的記録を当該電子計算機又は他の記録媒体に複写した上、当該電子計算機又は当該他の記録媒体を差し押さえることができる。」(刑事訴訟法218条2項)

要するに,差押えの対象物がパソコンなどインターネットを通じてサーバーに接続されている場合に,差押え対象物であるパソコンを操作してサーバーからデータをダウンロードしてて当該パソコンにデータを保存して,そのパソコンを差し押さえることができるという制度。
具体例としては,捜査機関が,OneDriveとかiCloudとかに保存してあるデータを,そのパソコンに落としてそのパソコンごと差押えられるというもの。

例えば,被告人が,ipadの中に写真やPDFデータを保存しておらず,icloudやOneDriveとかを使ってクラウドにデータを保存している場合に,ipadだけを差し押さえても,肝心の写真データやPDFデータを差し押さえることはできない。差押えという処分は,物の占有を強制的に取得するというものなので,差押物だからといって当然に操作をすることができるわけではないからである。そのため,リモートアクセスを許可する差押の制度が制定されたわけである。
※※※※※※

 

当該パソコンを利用してされたGメールのやり取りは,内容によっては非常に証拠価値が高く,証拠とする必要性が高い。押収したパソコンに保管されているデータを解析することは,通常許される。では,押収されたパソコンではなく,クラウド上に保管されているデータを解析したい場合に,捜査機関はどうすれば良いのだろうか。

 

捜査機関としては,リモートアクセスの許可を得た差押状の発付を一度受けていた。しかし,差押の場ではパスワードが分からず電子データをダウンロードすることができなかった。さて,パソコンを持ち帰った捜査機関は困っただろう。差押を完了した以上,リモートアクセスの許可がある差押の効力はもうなくなっている。捜査機関は,そこを悩み,結論として,「検証許可状」を請求することにしたのだろう。しかし,「検証令状」は,押収したパソコンを五感の作用で認識することを許可するものにすぎず,そこでの被侵害利益は,パソコンの所有者(ここでは被疑者)である。ところが,警察が欲しい情報は,被疑者のパソコンではなく第三者のサーバーに保管されている情報である。そうすると,被疑者が所有するパソコンに対する検証令状で,パソコンの所有者以外の権利を制約することは,許されない。したがって,被疑者のパソコンに対する検証令状を用いて,「第三者」のサーバーにアクセスをした場合,そのサーバーの管理者の権利を無令状で侵害することになってしまう。したがって,結果として,捜査機関がメールサーバー内からデータを抽出したことは,違法であると言わざるを得ない。

 

では,捜査機関としては,どうすればよかったのだろうか。よくありそうな話であるにも関わらず,ここが難しい。Gメールデータは解析したいが,それを取得するための手段をどうするか。おそらく正しい考え方は,押収済みのパソコンに対して,再度リモートアクセスを許可する差押令状の発布を求めることだったのだろう。

とはいえ,個人的には,捜査機関が検証許可状という選択肢をとってしまったのは,結果的に違法ではあるものの,重大な違法性があり証拠排除をしなければならなかったのだろうか,という疑問もないではない。

この問題を難しくするのは,サーバーが外国に存在する可能性が高いことである。通常,外国に所在する物に対して日本の強制捜査をすることは,相手国の主権との関係でできないと考えられる。 しかし,今やクラウドにデータを大量に保存する自体で,そのデータサーバーも,世界各国に散らばっている状態。その中で,形式的にサーバーが国外にあるから,他国の主権に配慮し,それを取り出すことは差し控えるべきだというのは,現代のクラウド時代の感覚に沿わないように思う。自分の携帯電話にもGメールのアプリを入れているが,その内容を取り出すことができないっていうのは,どこかおかしな感覚がある。ラインのサーバーが国内にあれば差押できるが,国外にあれば差押ができないというのは,実態に合わないように思う。

 

結局,この問題も,法制度が現代の時代の流れに対応できていないことの一つの現れなんだろう。