へーつぁんの自由研究日記

うだつのあがらない法曹の日常

新司法試験合格者が約10年ぶりに新司法試験の択一式を解いてみた

ここのところ風邪気味で,コロナウイルスの状況を踏まえると,土日に外に出るのは差し控えたい。そこで,ちょっと時間ができたので,Youtubeの「東大生が○○してみた」という企画みたいに,択一試験を解いてみようと思う(突然)。

【新司法試験の択一式試験について】
新司法試験の択一式試験は,憲法(50分),民法(75分),刑法(50分)の3つの科目があり,この試験で一定の得点を取らないと,いわゆる「足きり」となり,論文式試験の採点をしてもらうことができない。

例えば,令和元年の新司法試験では,各試験科目いずれも40%以上の得点を獲得し,かつ,合計点が108点以上でなければ,論文試験を採点してもらえないことになる。
令和元年では,4429人の採点対象者のうち,合格に必要な成績を得たものは,3287人であり,1000人以上が足切りを受けていることになるので,結構厳しい。

なお,私が新司法試験を受けた頃は,短答式は7科目だった(民訴,刑訴,商法,行政法が追加)。別に今の制度がゆとりだというつもりはないが,手続法である民訴と刑訴はあった方が良いのでは,と思わなくもない。

【刑法やってみよう】
さて,民法は75分と長くてめんどくさかったので,とりあえず令和元年の刑法だけ解いてみよう。正直,実施前の感覚として,あんまり実体法には自信がない。実務に出れば,変な間違いはできないから,必ず主張の裏付け文献を見つけるようにしている。そのため,別に判例等を覚える必要はない。

言い訳はともかく,実際にやってみよう。20問を50分だから,1問当たり2分30秒。結構忙しそうだ...それでは,スタート。

【回答中の心の叫び】
・詐欺罪と二項強盗罪の区別ってどうすんだっけ...?
・同時傷害の特例による傷害致死ってありうるってことでいいんだよね…?承継的共犯の規定との関係とか覚えてないよ...
・特別公務員暴行陵虐罪とか公務員職権濫用罪の構成要件なんて覚えてないってば…
・てか時間足りなくね?
・不動産が絡んでくる横領...現役のころからよくわかってなかったから全然分からん
・身分犯の共犯も同じで,現役の頃からよくわかってなかったなぁ...
・あかん,時間たりん。

【結果】
さて,気になる結果は…



34点/50点(得点率68%,上位43%)




…なんか微妙

全く準備なしに約10年ぶりにやったことを考えれば,健闘した方なのだろうか。なんかつまらなくもなく,面白くもない。まぁ,思ったよりひどくなくて少し安心?複雑な気持ち...

【採点後の雑感】
・基本的な事務処理能力がないと,高得点は望めない印象。ロースクールの適性試験があったと思うけど(今もあるのかな?),そこで高得点を出せる人は,刑法の択一も高得点な気がする。
・私が現役の頃と問題のパターンがあまり変わっていない。やっぱり過去問大事。不真正不作為犯,因果関係,正当防衛,被害者の承諾,実行の着手,共犯,占有関係,窃盗詐欺強盗の相互関係は頻出な印象。
・細かい判例はそんなに覚える必要なさそう(一部例外あるので,満点のためには細かい判例も必要)。重要判例をきちんと理解して,そこから応用できる能力の方がまずは重要。
・現役の頃にしっかり勉強することは大事。意外と知識は衰えない。逆に,刑法の実体法の知識に関しては実務に出て積み重なるというわけでもなさそう。

【まとめ】
実務家も,択一試験に関してはそんな大したことがない,のかも?
(少なくとも,私は大したことはない。偉そうなこと言えないな…)
気が向いたら今度は民法かな。憲法はおよそできる気がしないのでパス。

感想ー自分の頭で考えて動く部下の育て方

キンドルアンリミテッドで見つけた本の感想を勝手に書いていくシリーズ。今回は,部下の育て方についていろいろ考えてみたい。自分は別に上司ではないが,将来は上司になる可能性があるし,それに部下の視点で見てみるのも面白いかと思い。

さて,部下の育て方を語る前に,そもそも理想の上司とはどのような人をいうのだろうか。全知全能の神のごとく,すべてを自らがこなすことができるというのは,実はそこまで望ましくない。なぜなら,完璧すぎるリーダーは,かえって部下の思考を止めてしまうからだ。リーダーが全てを指示し,それに反する行動に対して罰を与えてしまうと,部下は,当然,言われたことをやろうという気持ちになる。そうではなく,部下の行動をきちんと見て,適切に評価してあげることができるリーダーの方が,トータルのパフォーマンスを上げることができるのだろう。誰しも,自分を大切にしてくれるリーダーについていきたいと思うものだ。よく言われることだが,人は,承認欲求を持っている。部下の能力を認め,適切に評価されれば,部下の承認欲求も満たされ,部下のパフォーマンスを上げることができる。上司としては,部下に行動させ,失敗をしたとしてもそれを許容した上でフィードバックを与え,より自分の頭で考えてもらえるように行動すべきだ。「やってみせ,言って聞かせて,させてみて,ほめてやらねば人はうごかじ」だけではなく,さらに,「話し合い,耳を傾け,承認し,任せてやらねば,人は育たず」「やってみる,姿を感謝で見守って,信頼せねば,人は実らず」という段階まで実践することが必要なのである。

そうはいっても,部下としては,行動しろと言われても,どうしていいかなかなか分からないことも多い。慣れない仕事ならなおさらだ。こうした場合に,上司はどうするべきか。それは,人間の可能性を信じて,その人が答えにたどり着くまで辛抱強く待つことだ。答えを教えることは簡単だが,それでは,楽をすることになり,かえって自分の力にならないことがある。ロースクールでいう,ソクラティックメソッドの出番である。質問をされたら質問で返す。そうすれば,部下は嫌でも考えなければならなくなる。その結果,部下はどんどん成長していく。巷には,「アウトプット大全」という書籍もあるように,アウトプットが大事だと言われる。アウトプットの過程で,主体的に考えることができ,より知識が自分のものになる。なのに,上司・部下の関係になったら,途端に「アウトプット」の機会を平気で奪う上司がいる。とりあえず「させて」みてはいかがだろうか。それが,部下にとっての貴重な成長の機会になるはずである。

こうしてみると,上司と部下の関係は,「上司は会社員Lv.50,部下は会社員Lv.20」という関係ではないことが分かる。上司と部下は,そもそも仕事の内容が全然違うのである。むしろ,「上司は商人Lv.1,部下は戦士Lv.1」という整理の方が実はしっくりくるかもしれない(例えがいまいちだが。)。マウントを取ってくるような上司は,最もいまいちな人種の一つだ。

こうした部下の可能性を信じるという方法は,部下のやる気も増長させる。例えば,攻略本を片手にその内容に従ってやるゲームほどつまらないものはない。自分でいろいろと試してみて,失敗してみて,ようやく成功して,達成感を得られる。もちろん,どうしようもないときには,攻略サイトを見たりするが,それも目的意識があってみるものだから,より自分のものになる。部下の可能性を信じない上司は,部下に,攻略サイトを見ながらゲームをやれと言っているようなものだ。それでは部下は自分で発見するプロセスに触れる機会を奪われてしまう。

要するに,「自分の頭で考えて動く」部下を作るためには,「自分の頭で考えさせる訓練」が必要だということで,そのための方法としては,答えを与えるのではなく,質問をして考えさせる,ということだろう。

書いてある内容自体は,特段目新しいものではないが,そうであるからこそ,今一度その重要性を再確認したい。

債権法改正~債権者代位権について

債権法改正における債権者代理権を,今更ながら復習してみよう。
もともと債権者代位権は,現行法上,423条が1か条定めているだけのものであるにもかかわらず,判例によってさまざまなルールが設定されており,債権総則を学ぶ際にも大きなトピックの中の一つである。しかし,法律を読んだだけでは分からないというのは困るので,判例等のルールのいくつかが,債権法改正によって明文化されている。具体的には,423条から423条の7まで条文が増えている。条文を追っていこう。
ただし、改正内容を見る限り、これまでのルールと大きな変更はないので、まぁ、ぶっちゃけ勉強しなくてもなんとかやっていけなくはないかなとは思われる。


1 423条
債権者代位権を行使するための要件は,423条によれば,

  1. 自己の債権が存在すること(債権の発生原因事実)
  2. 上記債権を保全するため必要があること
  3. 自己の債権の期限が到来していること(又は保存行為であること)
  4. 債務者に属する権利が存在すること(債権の発生原因事実)

である。自己の債権については,これまで一身専属の権利は行使できないとされていたが,改正法では,差押えを禁じられた債権も,これを行使することができないとされている(423条1項ただし書)。差押禁止債権は,民事執行法に定められているが,例えば,給料債権であれば4分の3は差押禁止債権とされる。また,債権者の権利が強制執行によって実現することができないものである場合にも,債権者代理権を行使することはできない(423条3項)。
なお、改正前の民法では、③の要件について、期限未到来の場合でも裁判上の代位をすることができるとしていたが、この制度は、改正法では廃止された。全然使われていなかったとのこと。


2 423条の2
これまでの判例では,まず,代位できる債権の範囲については,自己の債権の額を限度とするとされてきた(最判昭和44年6月25日)。例えば,100万円の債権があるだけなのに,債務者が有する200万円分の貸金返還債権を行使することはできない,ということである。このルールは,423条の2に明文化された。

3 423条の3
また,代位される債権が物の引渡し請求権の場合には,債権者は,目的物を自己に対して直接引き渡すよう請求することができる(最判昭和29年9月24日)。このルールは,423条の3に明文化された。同条は,さらに,第三債務者が債権者に対して物を引渡した場合,被代位債権は消滅するとしている。

4 423条の4
第三債務者が,債務者に対して抗弁を有していた場合,この抗弁は債権者に対しても対抗することができる(最判昭和33年6月14日)。これは,423条の4に明文化された。

5 423条の5、6
この条文は,従前の判例法理を変更したものであり,重要である。これまでは,債権者代位訴訟が提起されたことを債権者が債務者に対して通知した場合,債務者は,あたかもその権利が差し押さえられたのと同様に,その権利を第三債務者に対してはもはや行使することはできないとされていた(大判昭和14年5月16日)。
しかし,民事執行によって正式に差し押さえられたならともかく,被保全債権の立証さえまだ完了していない債権者代位訴訟を提起したことをもって,債務者の権利行使を禁止するのはやりすぎだと思われる。そこで,423条の5は,これまでの判例による解釈とは異なり,債権者代位訴訟の提起の通知によっては債務者の処分権限は制限されないとした。債権者は、債務者による財産処分を予防したい場合には、差押え等の処理を踏む必要があることになる。
そして、423条の6は、債権者代位訴訟を提起した場合には、訴訟告知が必要となる旨を定める。債務者に対する手続保障のためである。

 

6 423条の7
債権者代位権は、債務者の責任財産の保全のための制度であると言われる。典型的には、債務者が、債権を持っているにもかかわらずそれを適切に行使しない結果、債権者が、自らの債権を回収することができなくなるような事態を避けるための制度である。もっとも、いわゆる債権者代位権の「転用」という類型が、旧法の時代から議論されてきた。すなわち、金銭債権を保全するためではなく、特定の債権の実現を目的とするための債権者代位である。典型的には、A→B→Cと不動産が売却された場合に、まだ所有権登記がAの元に残っているとしよう。この場合、登記をCに移すためには、A→Bの移転登記、B→Cの移転登記を経る必要がある。しかし、この場合に、AとBが移転登記に協力しないと、そもそもA→Bの移転登記が出来なくなり、Cは自己に所有権登記を移転させることができない。そこで、Cは、Bに代位してAに対して所有権移転登記を求める債権者代位訴訟を提起することができる。この場合、Bは別に無資力である必要はなく、特段責任財産の保全が問題となっているわけではない。そこで、こうした債権者代位訴訟の使い方を、「転用」と読んでいるわけである。この債権者代位権の転用は、423条の解釈としても十分導き出すことができる解釈ではあるが、改正法は、423条の7として、登記請求権を保全するための代位について明文でこれを認めた。

てなもんで、改正条文を一つ一つ見てきたが、基本的にはこれまでの判例のルールの明確化であり、実務に大きな変化が生じることは、そんなにないのではないかなぁというのが、素朴な感想である。債務者の処分権限が制限されなくなったという点は、注意がひつようではあるが。

 

刑事裁判において,高等裁判所は地裁の無罪判決を証拠調べすることなく逆転有罪にできるか(最高裁令和2年1月23日判決)

【事案】
地裁判決:窃盗1件,詐欺1件,詐欺未遂3件については有罪。その一方,家電量販店で不正な身分証明書を利用してクレジットカードを発行し,商品を購入したという詐欺事件については,犯人であるとする立証がないとして,無罪とした。

これに対し,東京高裁は,被告人が犯人だとして,地裁判決を破棄して,有罪の判決を言い渡した。この際,東京高裁は,証拠調べをすることなく,一審の記録に基づき逆転有罪判決を言い渡した。

刑事訴訟法400条ただし書きは,高等裁判所は,一審の記録のみに基づき破棄自判の判決をすることができると定めている。しかし,判例上,無罪判決を逆転有罪にする場合には,この400条ただし書きの規定によってはならないとしている。

したがって,東京高裁の判決は,この判例には反するものであったが,東京高裁は,この判例は今日ではもはや当てはまらないとして,あえて破棄自判をした。

【最高裁の判断】
これまでの判例は,被告人は,公判廷においても,公判廷における直接審理主義,口頭弁論主義の原則といった憲法上の原則の適用を受けるべきであることを理由に,上記の刑訴法400条ただし書きの解釈を導き出している。この解釈が変更されるような事情はなく,判例を変更すべきではない。東京高裁の判断を破棄し,差戻し。

【コメント】
なんで東京高裁はこうした判断をしたのだろうかと疑問が生じなくもない。事実の取調べをすればよかっただけのようにも思えるが。東京高裁判決をちょっと読んでみたいところだ(一部最高裁判決に要約されているが。)。ひょっとして,結審後に判断が変わった,ということなのか?そうであっても弁論の再開をすればよかったような気もする。でも,たぶん,そんなに単純な話ではないんだろうなぁ。

婚姻費用分担審判の申立て後に当事者が離婚した場合における婚姻費用分担請求権の消滅の有無(最高裁令和2年1月23日決定)

【事案】
平成30年5月 妻→夫 婚姻費用分担調停の申立て
平成30年7月 妻・夫 離婚の調停が成立(財産分与の合意なし)
     同日 妻・夫 婚姻費用分担調停について不成立→審判移行


つまり,婚姻費用分担調停の申し立てがあったが,その結果が出ていない段階で,離婚が成立した事例。

【論点】
既に離婚しているのに,離婚前の婚姻費用分担の請求などできるのだろうか?

【東京高裁の判断】
具体的に婚姻費用分担請求権の内容等が形成されないうちに夫婦が離婚した場合には,将来はもちろん,過去の婚姻費用について分担を求めることはできない。

【最高裁の判断】
離婚後についてまで婚姻費用を求めることはできないのは明らかである。しかし,離婚したからと言って,婚姻期間中の婚姻費用の分担請求権が消滅するという根拠がない。
婚姻費用については,過去にさかのぼって分担額を決定することができるのであるから,離婚時までの婚姻費用の具体的な分担額を形成決定することはできる。

【コメント】
1 婚姻費用の分担
 婚姻費用の分担は,婚姻しているにも関わらず別居している場合に,収入が少ない方から収入が多い方に対して生活保持義務の実現の一環として金銭の支払いを求めるというもので,家庭裁判所では,基本的に婚姻費用分担表に基づいて調停や審判をしている。
 もっとも,例えば,2000年から別居をしていて,2020年に過去20年分にさかのぼって婚姻費用を請求されたりすると,とてつもない金額の支払いを求められることになる。そこで,家庭裁判所では請求時から婚姻費用を認めるという取扱いにしている(よく考えると,なんでなんだろう?)。
 そのため,上記のケースでは,平成30年5月から平成30年7月までの2か月分しか実は問題になっていなかったと思われる。
2 判例に対する感想
 最高裁のいうとおり,婚姻費用分担請求権が消滅するいわれはないように思われる。もっとも,どうしてこの事案がこれまで問題にならなかったんだろう?よくありそうな問題な気もするのに。
 思うに,一つ目は,婚姻費用分担調停と離婚調停が両方申し立てられた場合には,家庭裁判所はまずは婚姻費用分担調停を処理しようとする,ということがあるかな。この事件では,夫の方が,婚姻費用が積み重なるくらいなら早めに離婚したいと思ったのだろう。二つ目は,離婚調停を成立させる際に,大体財産分与で未精算の婚姻費用も一括で処理する扱いが多いからだろうか。
 意外と民法のあのあたりって解釈が確立していない部分とかあるような気がする。交渉の腕の見せ所ってやつでしょうかね。

はじめてのやせ筋トレの感想

今年に入ってから筋トレに目覚めている。ジムに通い、いろいろと試行錯誤する日々だが、初心者にとって意外とわかりにくいのが、「どうやって筋トレすればいいの?」というもの。ダンベルの群れの前で途方に暮れ、とりあえずYouTubeの動画を見様見真似してみる日々。それでも、なんとなく自分なりのメニューを考えて筋トレを続けてきたけど、いい本はないものかと手に取ったのがこの本。

これまで、筋トレに関する本は、実は何冊か読んだが、今ひとつ入ってこなかった。しかし、この本はイラスト込みでとてもわかりやすい。Kindleアンリミテッドで読んだが、購入してもよいと感じた。さー、この本を参考にしてまたメニューの再編をしよう。

 

少し話はずれるが、この作者、筋トレを始めたきっかけはかっこいい彼氏ができて、その彼氏の横を自信持って歩きたいという、なかなかヨコシマな理由だったみたい。でも、そこから自分でいろいろと調べてそれを実践し、結果的に本を出版し、Twitterのフォロワーも10万人近くという、かなりの結果を出している。これが、いわゆる「とりあえず全力で動いてみる」ということの一つの例だと感じる。最近のビジネス書を読んでいると、だいたいこのことばっか言っている気がするが、その成功例の一つとして位置付けられるなぁと感じた。

 

自分には、何ができるだろうか。いや、自分は、何をしたいだろうか。まだその答えは見つからない。…いや、本当はもう見つけているのかもしれないな。自分の目標は、この時代だからこそ、地道に法律の論文とか、判例とかをきちんと吸収することだ。最近はジェネラリストが増えているから、こうした基本に忠実な法曹というのは、かえって尖ってきているように思う。そして、それでいいんだと思う。

「何者」の感想

月2冊は専門書以外の書籍をを読もうということで、今月2冊目の本の感想。朝井リョウの「何者」。

読売新聞でおすすめされていたので、Kindleで購入。購入の動機は、就職活動に関する心の動きとかを見てみたかったから。

 

あらすじは、主人公が、友人らと一緒に就職活動をしていく中で生じた出来事を主人公目線で記載したもの。現実の自分と、SNS上の自分という二面性が一つのテーマになっている。

 

この物語での盛り上がりの場として多くの人があげるのが、瑞月が隆良にキレる場面と、理香が主人公にキレる場面の2つだろう。前者は、様々な理由をつけて結局何のプロジェクトにも最後まで関わろうとしない隆良の態度に、瑞月が、もはや努力の「過程」は誰も見てくれない段階にきており、何かを「自分」の中から捻り出しさえしない隆良の態度は間違っているとキレる場面。後者は、物事を一歩離れた視点から斜に構えて見ている主人公の態度に、カッコ悪いと自覚しながらもガムシャラに動いてると思っている理香がキレる場面。2つの場面には共通点があると思う。すなわち、「情報を集めて知ったような態度をしていだけで、行動に移さないのが一番かっこ悪い、たとえその行動がカッコ悪いものだったとしても。」という点だ。カッコ悪い「自分」を受け入れられず、他の理想とする「何者」かになろうとすることはできない。自分を自分として受け入れた上で、何かの理想があるのなら、その理想に「自分」を近づけるべきだ。そんなメッセージを感じた。

 

なんとなく感じたのは、最近、「じゃあ、自分でやってみろよ」と思うことが増えたということだ。例えば、ダイアモンドプリンセス号の事件なども、国民からは多数の批判があるが、実際の担当者は、少しでも事態を良くするためにいろいろとガムシャラに頑張ったのではないだろうか。それを、その中に入ってすらいない外からの人が、安全な家の中から、好き勝手に批判する世の中だ。もちろん、修正すべき点はあるだろうが、まずは彼らが絞り出したいくつかの「善い点」をきちんと評価してあげるべきではないだろうか。今や、情報発信がはるかに容易になった世の中であり、誰もが、「自分」を離れた他の「何者」かになることに安心感を覚えているのではないだろうか。作者は、そういう世の中を暗に批判しているんじゃないかなぁと思った。

 

結局、就職活動が中心とはいいつつ、肝心の就職活動についての描写が具体的ではなかったので、就職活動に関する心の動きを見て見たいという最初の目的は達成できなかったような気はするが、まぁ、読書ってそんなもんだろう。