福岡高裁平成29年5月18日(判例時報2346号81頁)の感想
遺産分割事件において厄介なのが,代襲相続や再転相続があった場合に特別受益の主張がある場合である。上記裁判例は,この問題を扱うもので,特段目新しい争点に関するものではないが,高裁レベルで一つの見解が提示されたというのは,実務上参考になる。
分かりやすいように事案を(かなり)改変して述べると,次のようなものである。
被相続人Aには,子BとCがいた。また,子Bには,子(Aにとっては孫)に当たるDがいた。被相続人は,BとDをたいそう可愛がっており,生前,Bに対して甲土地(1000万円)を,Cに対して株式1000万円を贈与した。しかし,不幸にも,Bは死亡してしまった。Dは,Bを単独相続し,甲土地を取得した。その後,Aが死亡した。Aに見るべき遺産はなく,Cは,Aの遺産分割によっては財産をまったく得られなかった。そこで,Cは,Dに対して遺留分減殺請求権を行使した。
要するに,Aには子BCがいて,Bに対する生前贈与が1つ,孫であるDに対する生前贈与が1つあり,その後,代襲相続が発生した,ということである。
この場合,論点は次の2点である。
①Bに対する生前贈与は,Dの特別受益として考慮されるか
②Dに対する生前贈与は,Dがその当時推定相続人でなかったにもかかわらず,特別受益として考慮されるか
考え方の分岐点としては,相続人間の公平を図るという特別受益の趣旨をどのように考慮するか,という点である。
順に検討していこう。
【①Bに対する生前贈与は,Dの特別受益として考慮されるか】
通説的(注釈民法とか,司法研究とか)な考えは,これを考慮するとする。すなわち,DはBを相続しており実質的に同一の地位を有するし,Bの利益は実質的にDの利益にもなるのであるから,これを特別受益として考える方が,公平であるというものである。
ただ,代襲相続人が被代襲者を通じて贈与によって現実に経済的利益を得ている限度で特別受益に当たるとする折衷説もそれなりの魅力がある(どちらかというと,この見解に賛同したい。)
例えば,Bが,死亡前に「やっぱりBDでAの遺産の大半を取得するのは公平でない。親父には悪いけど,甲土地はCに譲ろう」なんて考えて甲土地を,Cに譲ってしまった場合はどうだろうか。この場合,甲土地の贈与をDの特別受益として考慮してしまうと,かえって不公平になる(Cは甲土地の贈与による利益を受けると同時に,甲土地の価格を持ち戻して遺留分減殺による価格弁償を受けることができる可能性がある。)。
それは相続人の意思とは関係ない事後的な事情だとしてこれを無視することも,理屈上はできるけど,相続人間の公平という観点からは,妥当ではないのじゃないか,と思ったりする。実際に事件処理をするときには,形式的に考えるのではなく,結論も踏まえて実質的に考えたいと思うのは,私だけではないはず。
【②Dに対する生前贈与は,Dがその当時推定相続人でなかったにもかかわらず,特別受益として考慮されるか】
この論点のポイントは,Dは,生前贈与をうけた時点において,推定相続人ではないという点である(CDのみが推定相続人である。)。Bの死亡によって,推定相続人たる地位を取得した,ということになる。
そして,民法の条文上,「共同相続人中に,被相続人から…贈与を受けた者があるときは」(903条)となっているように,生前贈与を受けた時点で推定相続人でなければならないかについては,解釈の余地が多分にある(相続開始時に推定相続人であれば足りると解釈することも十分可能。)。
注釈民法や司法研究では,特別受益として考慮しないという消極説が唱えられているらしい(あれ,司法研究は折衷説じゃなかったか?)。実質的な理由は,Bが生存していればDに対する生前贈与は特別受益として考慮する余地がないのに,Bが死亡したためにDに対する生前贈与を特別受益として考慮することは,Bの死亡という偶然の事情によって結論を左右することになり,相当でない,というものであるように思われる(一応,推定相続人の資格を持たない代襲相続人に対する贈与は,相続分の前渡しとは言えない,とかも言われるけど,中身のある理屈であるとは思えない。)。
他方,特別受益は共同相続人間の公平の維持が目的であるという特別受益の趣旨を強調して,受益の時期にかかわらず持ち戻しの対象とすべきだという説も有力だとされている(実務家に大人気の「家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務」(加除出版)では,この積極説が支配的見解であると紹介されており,何となく,今後は積極説が実務を席巻するのではないかという気もする。)。
上記福岡高裁は,このいずれの見解もとらず,「その贈与が実質的には被代襲者に対する遺産の前渡しに当たる等の特段の事情がない限り,代襲相続人の特別受益には当たらないというべきである。」とした。位置付けとしては折衷説みたいなものだろうか。
個人的には,積極説をとりたい。やはり,偶然の事情とはいえ,相続人になってしまった以上は,特別受益の修正を受けなければならないと考える。特別受益は相続人間の公平を実現するものであるので,その経緯はともかく,相続人になった以上,生前贈与を保持できるというのは,おかしいと思う。事例は異なるが,孫にたくさん生前贈与をしておいて,その後,相続税対策として孫養子をとったような場合,特別受益として考慮しないというのは,おかしいと思う。養子縁組と代襲相続という点で異なるとしても,理屈上は同列に扱うべき問題ではないだろうか。
ちなみに,福岡高裁の説示のうち,「また,被相続人が,他の共同相続人の子らにも同様の贈与を行っていた場合には,代襲相続人と他の共同相続人との間で不均衡を生じることにもなりかねない。」という説示には,賛成することができない。「相続人以外」の公平性を考え始めると,特別受益の範囲が広がりすぎるので,相続人間の公平を趣旨とする特別受益の解釈において,相続人以外をふまえた利益衡量はすべきでない,というのがその理由である。
実際上,この相続人以外の利益を考え始めるときりがない。実務上,相続人の妻に対する贈与も,相続人の利益として特別受益に当たると考えるべきだという主張はまま見られる。気持ちは分かる。しかし,そんなことまで考慮し始めていたら,きりがないと言わざるを得ない。この点に関する有名な審判例として,福島家裁白川支部昭和55年5月24日審判があるが,この審判例の射程はごくごく狭く解釈すべきだと思う。
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個人的にはどちらの論点についても通説と言われるものをとらないというマイノリティー路線まっしぐらですが,皆さんはどう考えますでしょうか。
ちなみに,私の根本的な価値観としては,「相続人間の公平を実質的に考える」ということで一貫しているつもりです。①の論点では,「実質的経済的利益」まで考えて,②の論点では,「相続人間」の公平を考えるということを重視しているわけです。
はてさて,この記事は一体どこに需要があるのやら。